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今年の年賀状に、オダジーのワイワイ日記のことを書いたら、私が大学1年のとき一緒に下宿していた、我が母校「東京経済大学」の一年先輩の加田さんから、一昨日メールが届いた。 そのメールは、「はるか何百キロかの南の地、伊豆の国川奈から発信しております。こちらは、現在の気温14度、コートなしの生活がつづいております。」から始まり、近況が続いていましたが、その後フォークソングの西岡たかしさんのことが書かれていました。何か、懐かしいのと、下宿当時のことがパァ〜と、浮かんできて嬉しくなりました。 加田さんの了解を得て、その部分のメールを下記に転載します。 私の今年の正月は、下田の姉貴の家に上がりこんで、姪の久美子と徹夜、午前12時からの「フォークの達人 西岡たかし」を見ながら、フォークの神様は、岡林でも、高石でもなく、俺は西岡たかしである。と思った。 それは、「殺してしまおう」や「血まみれの鳩」などにみられる、体制に対してものすごいエネルギーを要して「言葉」で批判してしている様子が改めて確認ができたからだ。また昨日は山崎ハコが登場し、「織江の唄」など青春の門の世界が展開された。やはりフォークはすばらしい。「今こそ必要な音楽」という感じがしている。そして「言葉」の大切さをあらためて実感した。今の日本は何か間違ってはいないだろうか。 西岡たかしは言う 血まみれの 小さな鳩が 私の窓辺で 死んでしまった今 「彼を葬ることより 今のボクらの世界を みつめる事の方が!! 偽りの平和の中で あきらめる暮らすよりも 真実(まこと)の平和 創ろう!! それが 小さな 鳩のためにも!!」 「血まみれの鳩」より 雲にかくれた小さな星は これが日本だ私の国だ 若い力を体に感じて みんなで歩こう長い道だが 一つの道を力のかぎり 明日の世界をさがしに行こう 「遠い世界に」より
2007年1月4日 伊豆の国川奈のワンちゃんこと 加田周一でした
私も、西岡たかしがリーダーのグループ「五つの赤い風船」は大好きで、特に曲で好きなのは、加田さんも詩を載せてる「血まみれの鳩」「遠い世界に」そして、「これがボクらの道なのか」「二人は」「ささ舟」などです。おそらく、レコードを聞き直すと、アッこれも好きだった、あれも好きだったになると思う。レコードも何枚か持っていたと思うけれど、確実に持っていたのはURCレーベルの「高田渡・五つの赤い風船」、他に「五つの赤い風船 フォーク・アルバム/第1集」と、「五つの赤い風船 フォーク・アルバム/第2集」は、聞いた曲がいっぱいあるので、持っていたか、貸してもらって聞いたかだと思う。 ついでに、私と加田さんが住んでいた下宿、引地家を少しご紹介します。加田さんに引地荘とか引地アパートとか、正式な名前はなかったですかと聞いたら、ないとのことで、私達は「引地家の人々」ということだったらしい。 場所は国分寺市西恋ヶ窪というところで、JRの駅は国分寺、今は西国分寺駅が出来たので、そこが近いと思う。西武国分寺線に恋ヶ窪駅がありましたが、あまり使った記憶がありません。 加田さんの記憶によると、下宿代が3畳一間で13,500円(朝・夕2食付)で、学校の生協のカレーが55円だったそうです。 昔のことを思い出すと、きりがないので、後はまた、別の機会にします。 |
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