■ 「Eight Classic Albums Stan Getz」 by富良野のオダジー 2012年12月08日(土)

  46,340 byte今朝はかなり冷え込んだ。(6時-9℃と出ていた)
もう、冬本番といった感じだ。あ〜、寒い!
宅建試験の話の続きの前に、サックスのスタン・ゲッツの「Eight Classic Albums Stan Getz」の紹介。
1951年〜1960年の間に吹き込んだアルバム8枚をCD4枚にまとめたもの。内容は、下記の通り。
DISC 1
・STAN GETZ AT STORYVILLE 1 (1951)
・STAN GETZ AT STORYVILLE 2 (1951)
DISC 2
・CHAMBER MUSIC (1953)
・FOR MUSICIANS ONLY (1956)
DISC 3
・STAN GETZ & THE OSCAR PETERSON TRIO (1957)
・GETZ MEETS MULLIGAN IN HI FI (1957)
DISC 4
・STAN GETZ & CAL TJADER SEXTET (1958)
・COOL VELVET (1960)
スタン・ゲッツファンには申し訳ないが、ラッキーなことに私が持っているレコード、CDと一枚もダブっていない。
と、いうのも、ジャズを集中的に聞いていた若いとき(1970年代)には、スタン・ゲッツをほとんど聞いていない。何回も書いているが、私の若いときは、ジョン・コルトレーンをはじめ、“過激”なジャズをジャズだと思っていた。スタン・ゲッツやポール・デスモンドは、意識的に避けていた。
今では、もちろんコルトレーンも好きだけど、スタン・ゲッツやポール・デスモンドも大好きだ。スタン・ゲッツに関しては気に入ったCDも何枚か出来、定期的に聞くようになったが、割りと新しいCDに限定されていた。
それが、このアルバム8枚分のCDボックスは、私のスタン・ゲッツの空白を埋めてくれたのだ。
スタン・ゲッツファンには、「今頃かっ」と怒られるが、8枚すべてがなかなかいいのだ。
特に、「FOR MUSICIANS ONLY」はすごい。
トランペットのデイジー・ガレスピーが、またいい。このセッションだけでも、値段分(4枚セットで867円!)は十分ある。
昨日のワイワイ日記の続き。
宅建試験当日、フォーラムフラノに戻ってから、インターネットの解答速報を見ると、私の合格の確率が高いのが分かった。
これで、安心したかというと、そうはならなかった。
もちろん、予想合格点はあくまでも予想だ。予想を超える合格点だってありえる。(その不安はあまりなかった)
それより、不安だったのは、問題用紙に書いてきた私の答えの番号を正確にマークシートに記入出来たかだった。(それだって、試験会場で2回は確認はしていた)
この不安を抱えたままで、発表を待つことになった。長い人生で、こんな感情になったことはなかった。大学受験だって、発表までこんなに不安になることはなかった。なまじ、インターネットの時代になって、解答速報もそうだけれど、合格ラインの予想など、色々な情報がどんどん入ってくることがいけないのだ。(見なければ良いのだから、言いがかりだ)
これもインターネットからの情報だったが、結果の発表は12月5日の9時30分なのに、0時過ぎに民間のサイトで合格点や合格人数などが発表されることが分かった。(なんでだろうか)
私もついついノッテしまった。パソコンを自宅に持っていき、0時を待ってサイトにつないだ。全然通じなかった。やっとつながったのは、1時を過ぎてからだ。如何に多くの人がアクセスしたのかが分かる。
私の点数は、クリアしていた。
でも、不安はますます強まった。ちゃんとマークシートにかけたのか。これでダメだったら、ショックは問題が解けなかったことより大きい。
いよいよ、12月5日の9時30分。横に、受験票と小さな仏像を置いたパソコンからアクセスした。この時のインターネットはすぐつながった。
妻にも見てもらい、間違いないと、確認した。
まあ、長〜い、一ヶ月半だった。
 

■ 宅建試験の合格証書 by富良野のオダジー 2012年12月07日(金)

  26,888 byte昨日、自宅に「合格証書」が届いた。私は会社に居たので、この目で見たのは、帰宅後の夜の9時半頃。
やっと、これで本当に実感した。
ここまでの道のりは、けっこう長かった。
始まりは、試験が終わった10月21日の午後3時。
終わりは、昨日の12月6日の午後9時半。
昨日も書いたが、試験が終わったときは、まったく自信がなかった。何点取れたとか、取れなかったという感覚ではなく、どんな問題が出たのかも思い出せなかった。
漠然と、「ダメだったなぁ」という感覚。
試験問題用紙は持ってこれるので、インターネットで解答速報が出るのは知っていた。
しかし、会社に戻ってきても、答え合わせをする気が起きない。いま慌ててやらないで、少し心が落ち着いてからやればいいと思った。この「心が落ち着く」とは、全然点数が取れていなくても、「そりゃ、そうだ。そんなに簡単に受かるはずはない。折角ここまでやったのだから、来年頑張ればいい」と思える精神状態になること。
このままほおっといて、合格発表の日まで待とうとも考えた。そうするには、一ヵ月半は長すぎる。その間、あーでもない、こーでもないと考えることになる。
結局、気乗りしないまま、現実を直視しようと、だいぶ遅くなってから、インターネットを開いた。
ショックを受けないように、気負わないで、何気なく、問題用紙に記入した自分の答えと、付き合わせた。
最初の10問ぐらいのところで、「もしや!」と色めき立った。正解の方が多いのだ。その後も、間違いより、正解が続いた。問題は全部で50問なのだが、7割以上の正解に見えた。2、3回繰り返したが、変わらない。
問題用紙を持って、興奮気味に二階の事務所から、下に降りた。
妻にちょっと大きな声をかけた。「おい、インターネットに出ている答えを読み上げるから、オレの答えをチェックしてくれ」と問題用紙を渡した。一階のカウンターの上にもパソコンが置いてある。
自分だけだと、勘違いもありうる。というより、点数が取れたうれしさに、妻も巻き込みたかったのかもしれない。
でも、これでバンバンザイとはいかない。過去15年の合格ラインの最高は36点で、今年の予想ラインはそれより低い点数だったが、確定するのは12月5日だ。
私は予想合格ラインをかろうじて越えていた。
あ、もうすぐ9時だ。店を閉める時間だ。
続きは、明日!
 

■ 風、雪、カミナリ by富良野のオダジー 2012年12月06日(木)

  45,978 byteいま午後3時半少し前だが、カミナリが光った。
雪は止んだが、2時間ぐらい前のカミナリは雪が降っていた。
雪とカミナリって、組み合わせとしては、どうなんだろう。あまり、記憶にない。
昨日の宅建合格の“興奮”がまださめていない。今回ほど、不思議な経験をしたのは、初めてだ。何が不思議かと言うと、多くの人がそうだと思うけれど、長い人生(私はもうすぐ還暦!)で、実力以上の結果が出たことはあまりないと思う。
たいていは、最高に良くて実力の7、8割、通常の感覚だと「よりによって、この結果かよぅ〜」だと思う。
私も振り返ると(振り返らなくても)、そうだった。
それが、今回の試験に関しては、終わったときに、良くて15点(50点満点)、下手したら一桁の点数もありえると思った。
事実、旭川の試験場から富良野に戻るときの車の中では、茫然自失の状態だった。
思い浮かべても、どんな問題が出題されたのか、まったく考えられなかった。
試験中は、ただただすべての答えだけは埋めようという意識だった。その意味では、集中していた。つまり、問題を解くことに集中したのではなく、答えを出すことに集中したのだ。それは、直感とか勘に近い。
結果が良かったから、言えるのだが、ゴルフの最高スコアを出したときにも、同じような経験をした。つまり、振り返っても、どのホールで何番のクラブで打って、パターがどうだったかなど、まったく記憶になかった。
プレー中は、ただただ次の一打に集中していた。それも、パーやバーディーをとろうと気負ったり、OB出したらどうしょうとかの不安は全然なく、淡々とプレーした。あんなプレーも今のところ、人生で一回きりだ。
結論的に言うと、「神さま仏さまが護ってくれた!」ということに尽きる。いつもそういう風に思っているが、これほど実感できたのは、大きなよろこびだ。
何気なく始めた宅建試験の勉強のお陰で、貴重な経験をすることができた。(やはり、挑戦することは大事なのかもしれない)
写真は、フォーラムフラノの玄関前。こんな感じで雪が積もっています。
 

■ なんと!宅建試験一発合格 by富良野のオダジー 2012年12月05日(水)

  44,541 byte10月22日のワイワイ日記にヒント的に書きましたが、この勉強とは、「宅建試験」だったのだ。
なんで、宅建試験なのか。
一つには、以前からちょこちょこ書いているように、富良野への移住者のお手伝いをしたいということがある。元々オフィスフラノは、富良野ファンの人たちと富良野をつなぐ「パイプ役」になりたいと思って始めた会社だ。
それと、息子たちが不動産関係の会社に勤めたり、友人が東京で大きな不動産サイトを手掛けていることもある。
ことの始まりは、今年の1月2日にネットで注文した「経験ゼロでもムリなく稼げる! 小さな不動産屋のはじめ方」だった。
すぐに、この本の流れで1月8日に宅建最短合格音声講座を申し込んだ。
前後して、「松村保誠の宅建試験「最短最速」合格法」も注文。
もちろん、仕事もあるので、合間合間の勉強だったし、特に7月、8月の観光のピーク時はほとんどなにも出来なかった。
ただ、10月に入って、試験日の10月21日までの間は、大学受験並みの集中が出来た。これが良かったのだと思う。
それと、松村保誠先生のお陰で、勉強に対するハードルが下がったことだ。「この方法なら、私でも続けられるかも」と思えたし、実際、続けられた。
講義の音声を安いMP3プレーヤー(なんと、2518円)に入れ、車の中や東京に出張の時は電車の中で、出来る限り聞いていた。
思い返せば、今年の初めに「還暦」を前にして、一念発起したことになる。
来年の3月に60歳を迎える私に、大きな贈り物になったようだ。
うれしい!
 

■ 久しぶりの空知川堤防 by富良野のオダジー 2012年12月04日(火)

  51,725 byte今日は朝から雨で、夜には雪になった。
写真は、昨日の朝に撮影したもの。天気が良かったので、久しぶりに自宅近くの空知川堤防に行った。
東京から戻ってきてバタバタしているのだが、前回のワイワイ日記にも書いた通り、ジョン・コルトレーンを続けて聞いている。
本を読んで、聞きたくなったCDを注文しようと思ってCDを探していたら、「待てよ、もしかしたら・・・」と思い、「コルトレーンの神髄」を調べてみた。
なんと、注文しようと思ったCDの曲が全部収められていた。
「コルトレーンの神髄」は8枚組みで、録音順に並べてある企画モノのCDだ。
発売されているCDは、この中から選んで組み合わせ、おそらく10種類ぐらいになっている。
ひと通りは聞いていたつもりだが、はっきり覚えていなかった。それで、今回、発売されているCDタイトルごとに分けて、CD-Rにコピーした。
レコードやCDで持っているものも何枚かあったが、改めて1枚、1枚並べてみると、「このCDの曲だったのか」とうれしい驚きもあった。
それを1枚ずつ聞いてみたのだが、年代順で聞くのとは違って、聞きやすいし、新しい発見も色々あった。
「忙しいのに、何やってるの?」と言われそうだが、楽しかった。
ヤフーに「オダジー コルトレーンの神髄」と入れて、検索したら、下記の2つのワイワイ日記が出てきた。
2010年03月13日(土)ワイワイ日記
2010年03月14日(日)ワイワイ日記
ここで、コルトレーンの神髄に入っている「ディア・ロード」に驚いているけれど、今回もまたこの曲に驚いた。なんと!覚えていなかった。
 

■ ジョン・コルトレーン「ワン・ダウン、ワン・アップ」 by富良野のオダジー 2012年12月01日(土)

  47,930 byte今朝、会社に来る途中のハローワークの温度計が-5.5℃だった。
さすがに、寒い!
日中、雪も降ってきて、正に真冬モードに突入だ。
先日のワイワイ日記にも書いたが、サックスのジョン・コルトレーンを聞いている。
今日聞いたCDは、「ワン・ダウン、ワン・アップ」
読んでいた本の中で、『コルトレーンの息子、サックス奏者のラヴィ・コルトレーンが「我がオヤジのベスト」と賞賛したのが、タイトル曲の「ワン・ダウン、ワン・アップ」』と出てきた。
私は、こういう記述に弱い。ついつい注文してしまった。
買ったはいいが、演奏が過激すぎて、結局はあまり聞かないかも、と思いながらの注文だったが、当たり!だった。
FM局のライブ中継のテープをラヴィ・コルトレーンが遺品の中から見つけて、2005年にCD化したもの。録音は、1965年。
コルトレーンは、1967年に亡くなるのだが、その間際の演奏は、かなり過激で、かなり心して聞かなければ聞けない。1965年録音のこのCDはフツーに聞けた。
調べると、この録音の半年後ぐらいに、サックスのファラオ・サンダースが加入し、どんどん過激化していったようだ。
 

■ 少し日付を戻ります。その3 by富良野のオダジー 2012年11月30日(金)

  81,674 byteここのところ、「オダジーとハマキンの富良野が好き!」のラジオ番組は、ハマキン抜きで、ラジオふらののスタジオで収録していた。
久しぶりにハマキンのスタジオでの収録になった。
ゲストは、ギターやボーカルを中心に音楽活動をしている「古川麦(ふるかわ・ばく)」さん。
ハマキンと麦さんのことは、以前に下記で紹介している。
「QUIET TRIANGLE」
「QUIET TRIANGLE CONCERT IN 富良野」
「QUIET TRIANGLE CONCERT IN 富良野」無事終了
この三人での第1回目の放送は、12月20日(木)5時から。
その後、1月の第1・第3木曜、2月の第1の5時から、計4回に渡って放送する。
お楽しみに!
 

■ 少し日付を戻ります。その2 by富良野のオダジー 2012年11月30日(金)

  59,627 byteビニールをはずす前に、畑に残っていたすべてのニンジンを抜いた。
そのあと、保存のために、発泡スチロールに土と一緒に入れた。こうすると長持ちすると、妻のお姉さんが教えてくれたそうだ。
こういうことって、なんか、いい感じだ。
“生活の知恵”って、すてき!
 

■ 少し日付を戻ります。その1 by富良野のオダジー 2012年11月30日(金)

  72,311 byteこれは、11月20日(火)の写真。
上京する前に、ビニールハウスのビニールを取り払わなければならないと思っていた。
案の定、留守の間に何日か雪が降ったので、そのままにしていたら、雪の重さでハウスが潰れたかもしれない。
最初は、一人ではずせると簡単に考えていたが、結局、妻に応援を頼んだ。
ビニールを骨組みの上で丸めながら取ろうとしたのだが、前日降った雪がビニールにくっ付いて、一人の力では重たくて、丸めることが出来なかった。
奥に見えるビニールシートがかかった箱には、堆肥を作るための枯葉や鶏ふん、米ぬかなどが入っている。
 

■ 富良野に戻ったら、雪 by富良野のオダジー 2012年11月30日(金)

  76,221 byte写真は昨日の朝。
除雪車が出動してきた。
富良野に戻ってきて、早速の「雪かき」。
東京も寒かったが、寒さが違う!
でも、富良野はほとんど外を歩くことがないので、「寒い、寒い」と言いながら、肩をすぼめることはない。
車で、ドア・ツー・ドアだ。
 


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