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不動産関係以外の本を読むと、サボっているようで気が引けるが、いい訳をしながら何冊かは読んでいる。そのなかの一冊が五木寛之(著)「新老人の思想」。 北海道新聞の広告が目に入った。「新老人」と「思想」の両方の文字に私の脳がヒットしたのだと思う。 「新老人」は、還暦を迎えた私にはピッタリだし、「思想」は私が唱えている「バチの思想」のヒントになると思ったのかもしれない。すぐに、アマゾンに注文した。 五木寛之だと何か最近読んだなぁと、アマゾンのアカウントサービス→注文履歴を見る、を調べる。「人間の関係」が出てきた。ただ、注文日はなんと!2007年11月。6年以上経っているのに記憶では最近≠ネのだ。 この本を読み出してから、「そうだよなぁ」と思ったページは、iphoneで写真を撮り、「Dropbox」に保存(勝手にやってくれる!)している。これは便利だ。今までは、本に直接赤線を引いたり、角を折ったりしていた。写真を保存していると、その本が手元になくても確認できる。 その中から、1箇所だけ紹介させて頂く。
『激動の鎌倉初期に世に出た法然は、この仏教の智(ち)の体系を、必要ないと言い切った。 智恵と慈悲より先に、信(しん)を押し出したのだ。もちろん、その背景には、広大な智恵と慈悲の大海がよこたわっている。しかし、末世(まつせ)だ。海は荒れ狂い、智にも慈悲にも目を向けるすべはない。溺(おぼ)れかかっている人びとに、悟りを求めることは不可能だ。 法然はボートから一本のロープを投げて、大声で呼びかける。 「このロープにつかまれ」と。』 そして少し文が続き、『ただ信じてロープをつかむのだ。そうすれば必ず助かるぞ、と。』
私は常々、「頑張れば報われる」的な言葉には、否定的だ。その言葉には、「そうだなぁ」とは思うけれど、じゃ、「報われてない人は、努力していないのか!」、と言いたくなる。 私は、頑張っていない人、頑張ったことがない人は、一人もいないと思う。それに対して、報われたと実感していない人は大勢いると思う。 だから、そうではなくて、『ただ信じてロープをつかむのだ。そうすれば必ず助かるぞ』という思想≠ェ必要なのだ。 つまり、「信じる」ことが大切で、報われるかどうかに力点(りきてん)を置かないことだ。 もちろん、報われることを信じる≠フはいいと思う。自分を信じるのもだ。ただ、その前提として、大きな力(神様とか、仏様など)を心底信じなくてはならない。 法然に関しての本は、ほとんど読んでいない。アマゾンで調べてみようと思う。良い本が見つかったら、紹介します。 |
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