■ 無線LAN・フリースポット by富良野のオダジー 2012年05月22日(火)

  41,824 byte先日の出張に際してのこと。
私は現在、月刊のタブロイド版(4〜6ページ)の編集の仕事をしている。それで、締め切りが近づくと、パソコンからインターネットでデータのやりとりを頻繁にすることになる。
やり取りするのは、オフィスフラノのデザイナーと印刷会社の担当者。
富良野の事務所にいる時は、なんのことはないのだが、出張すると、けっこう“綱渡り”状態になる。
特に、東京一ヶ所ではなく、場所が移動する出張の時はインターネットがつながるか、どうかが大きな問題となる。
先日の出張の時は、身延山の旅館はダメだったが、熱海のホテルでつながった。夜の12時近くまで、訂正の指示の作業にかかってしまったが、無事、熱海のホテルからデータを送信することができた。
次の日の午後3時に、羽田空港のロビーで訂正のデータを受け取った。羽田空港は無料でインターネットを受信できる。
無料で受信できる場所は、フリースポット・FREESPOT・公衆無線LANスポット、Wi-Fiフリースポット、ホットスポット、アクセスポイントなど、色々な呼び名がある。
同行していたみんなは羽田空港から富良野に帰ったのだが、私は東京に用事があったので、少し残った。
羽田空港ロビーのイスに陣取り、パソコンを広げ、一時間ぐらい作業した。ホントに助かった。羽田空港はエライ!
この話はまだ続く。
東京にいる間に、最終確認のためのデータを受け取ることになった。午前中に最終のOKを出せば、印刷の作業に入ることになっていた。納期的にはもうギリギリだった。
その日の朝は、息子が住んでいる荻窪の部屋にいた。私の計画では、9時にデータが届く、9時半までにデータの確認の連絡をして、印刷を進めてもらう。そして、荻窪を出て、10時半に新橋で待ち合わせた友人と会う。
ところが、データが届くのが9時半過ぎになると連絡が来た。待っていれば、新橋が間に合わなくなる。データさえ受け取れれば、後は確認するだけだ。
マクドナルドは受信できると聞いていたので、「新橋にもマックはあるだろう」と“見切り発車”した。
10時少し前に新橋に着いた。案の定、駅前にマックはあった。カウンターで確認すると、「二階が一番つながりやすい思います」との返事。
100円コーヒーを頼んで、いざ、二階へ。しかし、何回か挑戦したが、つながりそうで、つながらない。電波が弱い感じなのだ。
待ち合わせ時間まで、あと30分。とりあえず、マックを出た。
ちょうど10時の開店時間で、家電店のシャッターが開いた。そこのスタッフの人に、近くにインターネットを受信できるところがないか訪ねた。(ワラにもすがる思い!)
「ちょっと、待っていてください」と言い残し、開店の準備を始めた。(あれっ、状況が理解できなかった)
戻ってきたスタッフの人は、仕事のためだと思うが、小型のWi-Fiルーターを持っていて、それを使って受信しても良いと言う。
もちろん、ご好意に甘えた。(こんなことって、あるんだね)
店内でデータを受信させてもらって、ふただびマックへ。コーヒーとホットドックを食べながら、落ち着いてデータの確認ができた。
印刷会社にOKと伝え、友人とも時間通り会うことができた。
あ〜、よかった!
ちなみに、我がフォーラムフラノは2、3年前から、フリースポットになっている。(写真)
 

■ 農園その2 by富良野のオダジー 2012年05月21日(月)

  102,380 byte今日も天気がいい。
農園作りだが、昨日に引き続き今朝も作業。
昨日の私の作業時間は三時間ほどだったが、手伝ってくれた方が午後からもやってくれ、かなり片付いた。
今日は私一人。
まず木を4本、チェンソーで倒し、枝をはらった。そんなに太い木ではなかったので、一人で充分だった。危険もなかった。
9時過ぎに、昨日トラックに積んでおいた壊したテーブルや腐った木材などをリサイクル会社に持っていった。
トラックの荷台に満杯あったので、金額的にもけっこうな額だった。まあ、仕方ない。こういう仕事は、やれるときには、勢いつけてやってしまわないと、またのびのびになってしまう。
やるときは、やらなくては!
ということで、明日もまた続く。
明日は、また木を何本か倒したり、まだ残っている壊れたテーブルや木材などの廃棄物をトラックで持っていく。これで、この関係のモノはきれいに片付く。
金属関係は別のリサイクル会社の方が、今週中に取りに来てくれることになった。
後は、切り倒した木とその枝。枝は市のリサイクルセンターが無料で処理してくれる。でも、場所が少し離れているので、ちょっと大変。2、3回はトラックで運ばなければならない。
枝が終われば、倒した木を薪の長さに切って、きちんと積む作業。これをいい加減にやると、冬に薪を使うときに面倒になる。
これで、やっと畑の全容が明らかになる。
おそらく、今度の日曜日にユンボ(油圧ショベル)をレンタルして、木の根を掘り起こし、土地を整地することになると思う。
昨日手伝ってくれた方が、もうリタイヤしているがユンボの運転のプロで、「やってやる」と力強いお言葉。
順調に進めば、日曜日(5/27)には、「ほったらかしの空き地→畑」に変身する。
あ〜、楽しみ!
 

■ オダジー&ヨコジー農園 by富良野のオダジー 2012年05月20日(日)

  65,707 byte今日の富良野は晴れ。気温は20度。
まあ、爽やかこの上ない日曜日。
私は今朝、7時半よりかねてから計画していた畑作りの第一歩を踏み出した。
父の工場横の空き地を畑にするために、片づけを始めたのだ。近所の知り合いの方にも応援を頼んだ。
私は仕事があるので、10時半で失礼したが、知人の方は一日中作業をしてくれる。ありがたい!
これからは片づけが終わるまで、朝だけは作業を続けようと思っている。
スケジュール的には、捨てるものを分別し、それをトラックでリサイクルセンターに運ぶ。主なものは腐っている木材や木屑と、なんやかやの金属やプラスチック、そして電気製品も少々ある。だいたいトラックで二、三回の予定。
次に、昔からあるサクランボの木を二本だけ残し、白樺などの雑木をチェンソーで倒す。白樺はけっこう大きくて二本ある。他にもそんなに太くはないが、十本以上はありそうだ。
倒した後に、薪になる丸太と捨てる枝に分ける。捨てる枝は、またトラックでリサイクルセンターに運ぶ。
これで、やっと畑のための土地の全容が見える。
それから、私の畑の師匠であるヨコジーに土を見てもらい、それなりの土を作る。
土が出来上がれば、ビニールハウスを建てる。
まあ、苗を植えるのは、早くても6月の末か。
そんな時期でも何か植えられるのかどうかは知らないが、そんな感じになりそうだ。
明日も、頑張ろう!
 

■ 菅野日彰の「はじめての法華経」 by富良野のオダジー 2012年05月19日(土)

  42,169 byte先日の“身延山ツアー”で、静岡県静岡市清水区村松にある日蓮宗の本山(由緒寺院 )の海長寺にもお参りした。
佐野・妙顕寺の齊藤日軌貫首(富良野・本要寺住職でもある)が海長寺の菅野日彰貫首とお知り合いであり、菅野貫首が北海道出身ということもあって、大変歓待された。感謝!
お参りの後の菅野貫首の法話は、ご自身の生い立ちから、現在までの海長寺の経緯など、日蓮宗専任布教師や寮監としての経歴を「なるほど!」と思わせる楽しくて有意義なお話だった。
帰り際に、齊藤貫首が『菅野日彰の「はじめての法華経」CD全13巻』を購入してくれた。
実は、このCDは私がインターネットで出会い、是非聞いてみたいと思っていたものだ。
そのCDの作者が偶然に齊藤貫首とお知り合いで、なおかつ間髪入れずにお会い出来た。
偶然とは“縁”であると思う。すべては、縁のお陰で成り立っているのだ。縁を大切に!
昨日から、CDをお借りして、聞かせてもらっている。もちろんまだ1巻の一部だが、それでも十分に全13巻が素晴らしいものに違いないということを実感している。
また、たのしみが増えた。
下記は菅野日彰貫首のプロフィール。
昭和十二年、北海道礼文島生まれ。静岡県静岡市清水区・日蓮宗本山海長寺貫首。
十二歳で小樽市の日蓮宗妙龍寺にて出家得度。立正大学卒業。日蓮宗専任布教師として日本各地への伝道に従事した後、同四十二年、大荒行成満。同四十四年、大本山池上本門寺布教部奉職。同四十八年に日蓮宗宗立谷中学寮寮監に就任、同時に設立寺院である浄延院の院代を経て住職に就任。三十年にわたり谷中学寮の寮監を務め、若い僧侶の育成に尽力する。
 

■ 久しぶりのいつもの富良野 by富良野のオダジー 2012年05月18日(金)

  38,105 byte今朝の富良野は快晴。
いつもの自宅近くの空知川堤防。
二本の木の間から芦別岳という新たな構図に挑戦!
なんか、木の形が良くなったような木がする。いや、気がする。
今日は偶然、身延山の木と富良野の木の紹介になった。
それにしても、今朝は木分が良かった。いや、気分が良かった。(しつこい!)
 

■ 久しぶり! by富良野のオダジー 2012年05月18日(金)

  70,808 byte昨年に続き、日蓮宗総本山身延山久遠寺に行ってきた。身延山は山梨県にあり、新宿からバスで約2時間40分。今年は富良野の本要寺住職ご夫婦と檀家さんたちに便乗し、貸切マイクロバスでの“旅行”になった。
身延山の宿坊は一泊だけで、あとは身延町下部温泉や熱海温泉にも泊まった。正に、慰安旅行感覚だった。
昨年は雨だったので、身延山での行動も限られたが、今年は天気にも恵まれ、ロープウェイにも乗れた。
ロープウェイ山頂・奥之院駅から歩いて数分のところに、日蓮大聖人が故郷、房州小湊(現在の千葉県鴨川市)のご両親・お師匠を追慕した「奥之院思親閣」がある。
写真は、その途中に立っていた、樹齢700年を超える4本の「日蓮聖人御手植杉」。すごく、ありがたい感じがした。
身延山について
日蓮大聖人は信者であった、地頭の南部実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に草庵を構えた。1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢(かいびゃく)の日とする。
 

■ フォース「オール・ザ・シングス・ユー・アー」 by富良野のオダジー 2012年05月10日(木)

  63,874 byte私の友人であるジャズ・ヴィブラフォンのハマキン(浜田均)とラジオふらので番組をやっていることもあって、フォースのレコード「オール・ザ・シングス・ユー・アー」を聞いてみた。
これがすごくいいのである。
録音は1982年(昭和57年)で、メンバーはドラムがリーダーの猪俣猛、ピアノが西直樹、ベースが内田健一、そしてヴィブラフォンがハマキン。
実は、写真のレコードはこのグループが富良野でライブコンサートを開催したときにハマキンから買ったもの。四人それぞれのサインがしてある。
おそらく、このレコードの発売記念を兼ねたコンサートだったので、時期もその頃だったと思う。
私はハマキンとはビデオの音楽をつけてもらったり、CDを2枚作ったり(偶然だが、今朝CDの注文の電話がきた)、色々公私共にお世話になっているが、このコンサートのときはまだ何も始まっていなかった。
でも今考えると、このときに会ったことがその後に音楽を頼むきっかけになったのかもしれない。
フォースは昨年再結成され、私もそのコンサートを聞いたが、素晴らしかった。
四人とも文句のつけようのない演奏だったが、ピアノの西さんがとにかく、なんていうか、すごくいい。あまりいいので、勢いで「ハヴ・ユー・メット・ミス・ジョーンズ」も買ってしまった。
フォースの「オール・ザ・シングス・ユー・アー」のレコードのことに戻るが、タイトル曲以外には「ラウンド・ミッドナイト」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」など私の好きなスタンダードが入っている。
録音当時ハマキンは29歳。
先日、ハマキンに「このレコードの頃は技術も経験も積んできているし、体力的にも充実しているから、今より良い演奏が出来たのでは?」と聞いてみた。
そうしたら、「いや、歳を取れば取るほど、良い演奏が出来るようになってきている」と頼もしい返事。
歳を取る楽しみがまた増えたような気がする。
やれることは、いっぱいある。ねっ。
 

■ 我がニンニク by富良野のオダジー 2012年05月10日(木)

  76,164 byte昨年の年10月21日に植えたニンニクがちゃんと育っているようだ。
実は、10月に植えてから2週間で芽が出ると言われていたが、全然芽が出なかった。そのうち、雪の下になってしまった。
プロの人は大丈夫だと言っていたが、心配していた。
やはり、プロは正しい。今はご覧のように青々と伸びている。
妹から「今時期に肥料をやったほうがいいみたい」と電話があった。
それで早速昨日、米ぬか発酵ぼかし肥料と菜種油かす肥料をまいた。
収穫は、7月の末だそうだ。
今から、たのしみだ。
 

■ 麓郷街道の桜並木 by富良野のオダジー 2012年05月10日(木)

  50,719 byte昨日の麓郷街道の桜並木。
このときは、まだ晴れていた。
麓郷街道の桜並木はなかり長いけれど、今道路の工事中なので、車を停めて写真を撮るのはちょっと遠慮した。
でも、ここのラインの桜が一番きれいだった。
ここ何年かは、全体が咲き誇るという感じにはなってないような気がするが、今年は割りと良い方だと思う。
なまこ山の桜は、もう終わったように見える。
結局、5月6日前後が満開だったのかなぁ。
花の命は短くて・・・。
が、思い浮かんで、ちょっと調べた。

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」で、林芙美子が色紙などに好んで書いた短詩。
林芙美子(はやし ふみこ、1903年〜1951年)
日本の小説家。物心ついた小学生時代に貧しかった生い立ちからか、底辺の庶民を慈しむように描いた作品に、ことに名作がある。

私が知っているのは「放浪記」だけ。しかも読んだことはない・・・。
 

■ 工場 by富良野のオダジー 2012年05月10日(木)

  59,511 byte工場(父がやっていた建具工場)はだんだん片付いている。私のイメージ通りになるには、まだまだ時間はかかるが、それでもかなりすっきりしてきている。
こうなると、作業する意欲も沸いてくる。(けっこう、ゲンキンな性格)
写真は父が作ってくれたイスが古くなって壊れたので、背の部分を再利用して作ったボード。
「麓郷の森」の水溜りの上に橋のように渡す。
今までも大雨が降るとコンパネを敷いていたが、こちらの方が歩きやすいと思う。
それと、父が作ってくれたものが再利用でき、また長い時間活躍してもらえるのが、うれしい。
 


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