■ 富良野は雪景色に by富良野のオダジー 2010年12月17日(金)

  33,543 byteなんと!
10日振りのワイワイ日記だ。
東京の出張があったり、戻ってきてからも、お客さんが来ていたり、まぁ、バタバタしている。
写真は、麓郷の富良野農場のさくらんぼ畑。昨日、撮影したもの。現在、こんな感じになっている。
今年はあまり実が生らなかったが、「来年は期待できる」と、プロの複数発言があるので、大いに期待している。
もう12月の半ばを過ぎたので、来年の話にも鬼は笑わないだろう。
いや、むしろ、来年の飛躍を念頭にした、来年の話は、鬼だって喜ぶはずだ。
とにかく、世の中の閉塞感は、富良野だって例外ではない。
特に、今日のように寒くなると、ますます心が萎える。明るく、明るく、考えましょう。
富良野プリンスホテルのスキー情報によると、12月15日に一部オープンし、明日も更にオープンのコースが増えるようだ。
スキー客のみなさんも、明日から、そろそろ沢山来てくれそうだ。
明るく、明るく、ねっ。ん?
 

■ ちょっとした大雪 by富良野のオダジー 2010年12月07日(火)

  45,755 byte昨日の夜から雪が降っていた。
案の定、今朝は街中が真っ白になっていた。
仕事の打ち合わせで、10時までに南富良野に行かなくてはならず、9時に自宅を出た。
途中、麓郷に寄る用事もあり、麓郷まわりのルートになった。
写真は、麓郷から平沢(たいらざわ)に入る西瓜峠のもの。
こんな感じに雪が降っていた。
南富良野から戻って、午後からは、老節布(ろうせっぷ)に行くことになった。
老節布も、富良野から南富良野に向かって走ることになる。今日はそういう日になった。
南富良野までは約40キロ、老節布までは約25キロ。
老節布では、農家の方にインタビューをした。
どういうことかというと、私は、北海道大学・富良野サテライトで、「社会人マイスター試行開講」を受けている。その実習での私のテーマは、富良野農業の歴史を調べることなのだが、歴史の“生(なま)”の声として、直接農家の方にお話を伺っているのだ。

北海道大学・富良野サテライトについては下記を参照。
山部地区の産業研究センター内に設置されています。サテライトは、北海道大学のサステイナビリティ学教育センターと農学研究院の共同で設置され、富良野市の農業者、食品産業、観光業、農協、市役所等の関係者によって組織された富良野サテライト運営委員会によって運営されています。(ホームページより)

来年の2月には、レポートをまとめて提出するつもりなので、出来上がったら、ご紹介します。
 

■ 十勝岳がくっきり by富良野のオダジー 2010年12月02日(木)

  41,666 byte今朝も冷え込んでいて、道路は氷になっていた。
昼頃から少し気温が上がて、プラスになったようだ。
天気は快晴。
写真はワインハウスの駐車場から見た、十勝岳連峰。
日蓮宗・妙顕寺の斉藤貫首(かんじゅ)とワインハウスで、昼食をとりながらの打ち合わせ。
ホームページのことやら、色々いい話が出来た。
どうやら、当分は、お寺関係の仕事になりそうだ。
年末年始と、“御利益(ごりやく)”が、ど〜んときて欲しい。
 

■ 12月です。富良野は雪。 by富良野のオダジー 2010年12月01日(水)

  47,883 byteいよいよ、12月。
今日も、富良野は雪が降っていた。
写真は、麓郷でのもの。
何の変哲もない、景色だけれど、ちょっと惹かれた。
写真にしてみると、たいしたことはなかったが、ファインダーを覗いたときは、けっこういい感じだった。
こうこう、なにげない風景に目が向くのは良いことだ。
ということで、今日は、おしまい。
 

■ 寒くて、雪 by富良野のオダジー 2010年11月29日(月)

  33,420 byte今日は一日中、マイナスのようだ。
富良野は、本格的な冬の状態になった。
今朝の道路は、氷の上に雪が積もった感じなので、車の運転は特に要注意。
毎年、この時期に同じようなことを書いているが、今時期、雪の降り始めが一番危険なのだ。
雪道の感覚がまだ、身体(からだ)にインプットされていなく、注意はしているけれど、それは意識だけで、身体全体の神経にまで行き渡っていない状態。
まあ、とは言うものの、どんなに注意していても、何かのハズミで、車が滑ることがあるので、後は、自分の“運”に頼るしかない。
 

■ 佐野の妙顕寺、続き。 by富良野のオダジー 2010年11月28日(日)

  60,927 byte今朝起きたら、一面が雪で真っ白になっていた。
寝ているときに、「ちょっと、寒いなぁ」と感じていたが、やはり、雪だったのだ。
いよいよ、長〜い、冬の季節の到来だ。
それほどではないが、フォーラムフラノのベランダの「雪かき」もした。
昨日のワイワイ日記の続きである。
妙顕寺を色々調べていると、まず、歴史に驚く。
『1294年(永仁2年) - 中老僧天目が開創する。』とある。今から、700年以上も前だ。
この「中老僧天目(てんもく)」がすごい!
1245年(寛元3年)-1337年(建武4年/延元2年)。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての法華宗の僧侶。日盛・上法房とも称する。日蓮の門弟「九老僧」の一人。
妙顕寺には寺宝として、『日向上人作「祖師像」(日蓮聖人像)』、『傳教大師作「鬼子母神像」』、『宗祖(日蓮聖人)荼毘所灰および御砕骨』などもあり、興味は尽きないのだが、私がもっとも“反応”したのは、妙顕寺に墓のある「禹範善(ウ・ボムソン)」だった。
『禹範善(1858年-1903年)は乙未事変(1895年)で閔妃殺害に加わった朝鮮王朝末期の武官。日本に亡命中に、日本人の酒井ナカと結婚。1903年、他の事件で亡命していた高永根に暗殺された。』とある。
「?」、乙未事変、閔妃殺害。
恥ずかしながら、私はカケラも知らなかった。
ありがたいことに、調べると、角田房子著「閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母」が出版されていて、手にすることが出来た。
久し振りの文庫本。字は小さいし、ページも多い。ちょっと、ひるむ。
それでも読み出すと、面白くて、止まらない。
ただ、面白いは、語弊がある。
この辺りの歴史をちゃんと勉強すると、ある意味、今の日本の姿が見えてくるかもしれない、という新たな発見の喜び。(今頃かっ!と言われても、そうです)
続けて読んだのが、これも角田房子著の「わが祖国―禹博士の運命の種」
この禹博士とは、「韓国近代農業の父」と呼ばれる禹長春で、禹範善の長男なのだ。
写真は、妙顕寺に建つ禹範善の墓。隣は同じく朝鮮からの亡命者である黄鉄の墓。
何故、妙顕寺に禹範善の墓があるのか。
野国安蘇郡天明町(現栃木県佐野市)の豪農の子として生まれた、漢学者、実業家の須永元(すながはじめ)が、福沢諭吉や朝鮮人留学生との交遊により朝鮮問題に関心を深め、亡命者とその家族たちを支援した。その須永元と妙顕寺との深い関係があったからだ。
他に、朝鮮の政治家、李朝時代後期の開明派として知られる金玉均(キム・オッキュン)が揮毫した山号扁額「開本山」や閔妃事件当時に朝鮮公使だった三浦梧楼陸軍中将に書いてもらったといわれる御影石の水盤などもある。
詳しくは、また、ワイワイ日記で紹介する。
お楽しみに!
 

■ 佐野の妙顕寺 by富良野のオダジー 2010年11月27日(土)

  58,198 byteまたしてもワイワイ日記を5日間も更新しなかった。
これには、ちょっとした訳がある。
東京と栃木に、出張していたのだ。
私の友人である日蓮宗・本要寺の齊藤朋久住職と一緒だった。
齊藤住職は、現在、栃木県佐野市の「妙顕寺(みょうけんじ)」の貫首(かんじゅ)も務めている。
妙顕寺は、日蓮宗の本山(由緒寺院)で、山号は開本山(かいほんざん)。
宗教の言葉は普段あんまり馴染みが無いので、いちいち調べることになる。でも、基本的には調べたりするのは好きなので、けっこう楽しい。
「ふ〜ん、なるほど、なるほど」と、少し“利口”になった気がする。
本山(由緒寺院)とは。
日蓮聖人一代の重要な宗門史上顕著な沿革のある寺院を「由緒寺院」とし、その伝統により「本山」の称号を用いている。
貫首(かんじゅ)とは。
本山(由緒寺院)の住職を貫首(かんじゅ)と称する。
知っている方も多いと思いますが、「身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)」は祖山といわれ、日蓮宗の「総本山」である。その住職を法主(ほっす)という。
出張のことである。
実は、妙顕寺のホームページやリーフレット制作の話があり、「じゃ、佐野に行って、とりあえず、写真撮りますよ」ということになった。
東京での打ち合わせがあったので、そのタイミングに合わせたのだ。
佐野までは、JRバス「マロニエ新宿号」が便利だ。新宿から一時間半ぐらいだ。「佐野プレミアム・アウトレット」のすぐ近くにターミナルがある。おそらく、祝日はアウトレットのお客さんで満員になるのだろう。
佐野は二度目で、初めてのときはアウトレットにも行った。私はアウトレットが好きで、千歳の「レラ」にも何回か行ってるし、本場アメリカのアウトレットには色々行っている。
それには、理由がある。
ひとつには姉夫婦が住んでいたのと、もうひとつは、アメリカのアウトレットを日本で展開する関係の仕事をしている人と知り合いで、何かのハズミで、視察旅行に同行することになったからだ。ニューヨーク、ロサンジェルス、サンフランシスコ、ラスベガス、今から、十年以上前のことだ。
その時の旅行でいつも思い出すことがある。
突然、ロサンジェルスへの帰りのフリーウェイで、運転することになった。免許証は持っていったが、まさか運転するハメになるとは思わなかった。断れる雰囲気ではなかった。ずっと、知人は運転してくれていたのだ。
アメリカでの初めての運転がフリーウェイ、しかも車が混んでいる時間帯の夕方。しかも、向かっているのはロサンジェルスのダウンタウンと、きたもんだ!
心の中で「南妙法蓮華経」を唱えながら(これは本当です!)、慣れない英語の標識を見ながらの、決死隊的心境の運転だった。
ホテルに着いたとき、手の平は汗でびっしょりで、ハンドルも濡れていた。それを見た知人は、初めて、事の重大さに気付いたのだ。けれど、もう遅い!
人生には、いつなんどき、試練が襲ってくるか分からない。だから、毎日、精進して生きなくてはならないのだ。(宗教つながりなので、今日はこういう結論)
写真は、私が今週撮った妙顕寺。
雨模様の空が、“奇跡的”に晴れてくれた。
 

■ 今日も、芦別岳 by富良野のオダジー 2010年11月21日(日)

  25,272 byteちょっと、気を抜くと、ワイワイ日記を書かない日が4日間も続いた。
今週も、アッという間に過ぎてしまった。
作業的な仕事があって、時間がいくらあっても、足りなかったのだ。
優先順位から言って、一位は「仕事」、二位が「ワイワイ日記」、三位が「食事」、四位が「睡眠」、五位が「読書」・・・、というように意識的には、仕事の次に考えているのだが、仕事でいっぱいいっぱいになって、ワイワイ日記を書くことが浮かばない。
今月は、ほとんど何も書いていない気がする。
写真も、前回に続いて「芦別岳」。それも、同じ撮影場所。
もう少し、お待ち下さい。
書きたいことは、色々あるので、12月に入ったら、少し気合いを入れて、書きます。
えっ、誰も待ってないから、そんなに気にしなくても、ですか?
了解です。
 

■ 今日は、快晴! by富良野のオダジー 2010年11月16日(火)

  50,736 byte今日は、まったくの快晴だった。
写真はいつもの、自宅近くの空知川堤防から望む、芦別岳。
山はもう、真っ白になっている。
色々なことが、ちょっとずつ進んでいる感じがする。
このまま、色々なことが、形になればいいのだが・・・。
「あっ、いい感じ、いい感じ」と、テンションが上がることもあるが、概して、テンションが下がることが多い。
歳をとると、一日中、晴々した気持ちで過ごすことが出来なくなるのだろうか。それとも、歳のせいではなく、単なる私の性格なのだろうか。
そんなことを考えるから、晴々しないのだ。
前向きに、あくまでも、前向きに、頑張りましょう。(こんな結論で、いいのでしょうか)
 

■ 雪! by富良野のオダジー 2010年11月15日(月)

  37,530 byte天気予報通り、雪!
昨年の同時期のワイワイ日記を見ると、ちょっと、今年のほうが、積雪量、降雪回数とも、少ないかもしれない。
今日は、車のスリップにも気をつけないとならない。
午後から、麓郷の森に行くことになっているが、森は、もっと積もっていると思う。
外での作業があるのだが、雪の中で仕事をするのは、気合いが必要だ。
気合だー! 気合だー! 気合だー! ・・・?
 


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