■ 龍さん byオダジー 2007年04月08日(日)

  83,829 byte一昨日の夕方、ジャズのCDとギターを抱えて、美瑛から「龍さん」がやってきた。
龍さんとは誰で、どうして私と知り合ったかは、ワイワイ日記に以前書いたものがあるのでまずお読み下さい。

「ハイ、社長の名前は小田島です・・・」妻が電話で話している声が聞こえた。間もなくして、「名前が同じ小田島で、ジャズに興味があって、今は美瑛に住んでいるという人が、今日会いたいと言っていますが・・・」と妻。私は、今日はフォーラムフラノにずっと居るから、いつ来てもいいよと、返事した。
午後2時頃、小田島(オダシマ、ちなみに私はオダジマと濁る)さんが訪ねてこられた。初対面だったけれど、ジャズ好き同士ということや、事前に私のホームページを見てくれていたこともあって、すぐ打ち解けた。
オダシマさんのことは、今後おいおいご紹介しようと思いますが、見せてくれたペンと水彩の「絵」もカッコよかったし、ジャズはもちろん、ビールやワインにも詳しそうだし、なんだか色々な展開がありそうだ。調子に乗った私は、「二人で新しい富良野・美瑛文化圏を作りましょう!」なんて、のたまってしまった(お酒は飲んでいなかったのに・・・)。

前回は昼間ということもあり、シラフでの対面だったが、一昨日ははじめから飲む気満々だった。場所はフォーラムフラノの二階、私のオーディオシステムが置いてある「リラックス・スペース」。
これから書くことは、趣味の異なる大人(まともな大人)が読んだら、「お前ら、バカか!」と言われることを覚悟で書く。子供みたいに、お互いに持っているCDとレコードで自慢しあうのだ。私にしたって、この歳になって、まさかこんな局面が訪れるなんて、想像もしていなかった。
まず、龍さんが「この曲、知ってる? これがいいんだよ」と、持参した自慢のジャズをかけた。私の知らない曲だったけど、イイ! さすが東京で何十年もジャズの環境で生きてきた人は違う、と思わせる渋い曲。
お互いに何曲かかけながら、ジャズ談義は続いた。まぁ、龍さんは詳しい。私の知識は表層だけで、深く入り込んでいないので、ほとんど「あっ、そうなんですか。あっ、それはすごい」と相槌ばかり。
龍さんは、実際にニューヨークのジャズクラブで、ジャズファンなら誰でもヨダレが出そうなミュージシャンを何人も“生”で聞いている。ズルイ! 
また、私の番が回ってきた。30年前に買ったときからのお気に入りで、とっておきの一曲をかけた。「知ってますか? リーダーがドラムのロイ・ヘインズ、ベースがロン・カーター、ピアノがなんと! トミー・フラナガン」。一瞬、龍さんが凍りついたように感じた(あいかわらず、オーバーな表現)。
龍さんはこのレコードを知らなかった! 私は勝ち誇ったように、タタミかけた。「これは、日本のKittyレーベルで、1976年に録音されて・・・」。あ〜あ、子供なのは、私だ。どちらかというと、私の方が自分の好きなレコードを押し付けている。
龍さんは、押し付けがましいところが全然なく、まさに自然体で生きている人なのだ。それは、ジャズに関することだけではなく、あらゆることにそうだと思う。
龍さんについては、そもそも何故美瑛なのか、日々何をしているのか、何を考えて生きているのか、などなど少しずつ明らかにしていこうと思っています(龍さんにとっては大きなお世話だが・・・)。

下記は、龍さんが発信しているホームページで、私のことを書いたものだ。照れくさいが、うれしい、そんな感じです。
ここに載せた「絵」も、龍さんが描いたものだ。イイでしょう。近々、フォーラムフラノで個展をするつもりです。乞うご期待なのだ。
龍さんのホームページ



 

■ チャーリー・パーカー byオダジー 2007年04月06日(金)

  67,731 byteチャーリー・パーカーを聞いている。今日はいい天気で、気分の良い一日になりそうだ。人間の気持ちは天気に大きく左右されると思う。滅入っているときの曇り、雨は、心にズシンとくるものだ。まあ、それもテンションの高いときは、「春雨じゃ、濡れて参ろう」ではないけれど、雨までウキウキ気分になってしまうのだが・・・。
チャーリー・パーカーである。モダンジャズの開祖の人といわれたアルトサックスの天才パーカーなのに、レコードは三枚しか持っていない。
パーカー派と呼ばれるソニー・スティット、ソニー・クリス、フィル・ウッズなどは大好きで、いっぱいレコードやCDを持っているのに。
これには理由がある。チャーリー・パーカーは1955年に34才の若さで亡くなっている。それはレコードの録音として、音質や演奏の長さなどが割りと良くなる、ちょっと前の時期にあたる。
「凄い演奏」の意味はなんとなく分かるのだが、普通にレコードとして聞くものがあまりないのだ。
今聞いているのはレコードの「チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス」。誰か、これぞチャーリー・パーカーというアルバムをご存知の方、教えて下さい。
写真は、また「鹿」です。昨日、また南富良野に行く用事があったので、ついつい撮ってしまった。先日も、北海道ではないが、テレビで鹿の被害の特集を放送していたが、私が運転していた道路わきの樹木の皮をきれいに食べていた。
ここまで書いて、もう少し時間があるので、もう一枚CDを聞くことにした。ジョン・コルトレーンの「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン!」。けっこう前に買ったのだが、聞いていなかった。このCDを聞くには、すこし覚悟がいる。「ちょっと、聞いてみようか」なんて、軽い気持ちでは聞けない。
大音量にして聞いているが、やはり、朝は辛い。ちゃんと態勢を整えて、こんど聞こう!
 

■ 「春よ、来い」の一本の木 byオダジー 2007年04月04日(水)

  21,657 byte今はフォーラムフラノもちょっとヒマなので、ゴールデンウィークに使うロールキャベツをいっぱい作っている。
ロールキャベツは、「麓郷の森 スープカレー」に、手作りソーセージとともに入れるもので、この時期は和寒(わっさむ)の越冬キャベツで作っている。越冬キャベツの出荷も、もう終わりなので、夏に使う分として最後に沢山取り寄せた。
今日は、今すぐ使わない分を、麓郷で借りている「ムロ」に貯蔵した。
その帰りに撮ったのがこの写真で、1994年にNHKが放送した連続テレビ小説「春よ、来い」のタイトルの映像に使われた場所だ。ドラマ「北の国から」で純と蛍が初めに通った小学校「中の澤分校」のすぐ近くにある。
主題歌も、松任谷由美のタイトルが同じの「春よ、来い」で、大ヒットした。
どうでしょうか、この写真。たまたま、新しいデジカメを買ったので、何か撮ろうと思って、車にのせていた。これからも、色々撮ろうと思うので、そのうち、また紹介します。
 

■ アート・ペッパー「コンプリート“ゴーイン・ホーム”セッション 」 byオダジー 2007年03月31日(土)

  45,242 byte私は土曜も、日曜も、祝日もないボーダレスな生活をしているのに、土曜、日曜はちょっとリラックスした気分になる。ボーダレスのなかでも、自分なりにメリハリをつける性格なのかもしれない(いい性格?)。
せっかく天気も良く、さわやかな朝なのに、狭い事務所で仕事をするより、誰もいない店内で太陽をいっぱい浴びながら仕事するほうがいいに決まっている。
今日の朝は、まだ寒かったので、ストーブに薪を入れた。燃え上がる火を見ながら飲むコーヒーは、これまた最高で、リゾートに来て、ちょっとした合い間にパソコンに向かっているようで、気分がいい。気分がなおさら良くなるように、大好きなアルトサックスのアート・ペッパーの「コンプリート“ゴーイン・ホーム”セッション 」をかけた。
ライナー・ノーツ(レコードやCDなどに付された音楽の解説文)を読むと、アート・ペッパーは1982年に亡くなり、このCDはその一ヶ月前に録音されたそうだ。
私はアート・ペッパーと霊的なつながりが、実はあった。
このライナー・ノーツに書かれているので、亡くなったのは1982年ということだが、その時期私は東京から富良野に戻ってきて、もうあまりジャズのレコードを聞いていなかった。それが、今でもはっきり憶えているが、唐突にアート・ペッパーのレコードを続けて何枚か聞いた。
その次の日に、新聞に小さくアート・ペッパーが死亡したという記事が載っていた。これには、驚いた。アート・ペッパーのファンは全世界に大勢いるはずだ。それなのに、私にまで「エネルギー? オーラ?」を発信してくれたのか。
これも、ライナー・ノーツに書いてあったけれど、日本のファンは世界のどの国の人々よりもアート・ペッパーを愛し、最後まで支え続けた。もしかしたら、アート・ペッパーは日本に対する感謝の気持ちを日本に向けてくれたのかもしれない。それが、私にまで、届いたのかもしれない。
アート・ペッパーについては、「アート・ペッパーとモーニングコーヒー byオダジー 2007年02月18日(日)」でも書きました。
 

■ 中島みゆきの「雪」 byオダジー 2007年03月29日(木)

  37,098 byte富良野ではほとんど必要ないが、東京に行くとヘッドフォンステレオ(息子のおさがり)が必需品になる。駅まで歩く間、電車の中、電車の乗り換えの時、待ち合わせの待ち時間・・・。
東京出張中に、ホームページ制作の打ち合わせのため、西武新宿線の東大和(ひがしやまと)に向かった。4、50分、電車に乗らなくてはならない。途中、小平(こだいら)のちょっと手前で、スムースジャズのリック・ブラウンがしっくりこなくて、中島みゆきにした。
中島みゆきのCDは5枚入れている。普段あまり聞かないCDを聞いていたのだが、あまりにも美しいピアノの旋律にハッとした。あわてて曲名をを見たら、「臨月」に入っている「雪」だった。
鳴雪の書とジャズの組み合わせを、何回かワイワイ日記で紹介したが、その時、即座に鳴雪の「雪」には、中島みゆきの「雪」を組み合わせることに決めた。
鳴雪の「雪」は、なまめかしかったり、かよわかったり、ちょっと女性的に感じていたから、なおさら中島みゆきがピタッときたのかもしれない。
実は、海外に行くときも必ず中島みゆきを持っていく。もう15年ぐらい前になるが、冬にストックホルムやオスロなど北欧を訪ねたことがある。そのときは、カセットテープのウォークマンだったが、北欧の街並みに、中島みゆきはピッタリだった。
中島みゆきを聞いていると、人間はГ悲しみ」がベースにあるとつくづく思う。悲しみのままで、ちゃんと生きてゆくのが、いいのかもしれない。
 

■ シカが見放題 byオダジー 2007年03月28日(水)

  65,425 byte今日、桜が咲いている東京から、雪がちらつく富良野に戻ってきた。いきなり、雪の歓迎を受けて、また富良野の日常の仕事を頑張ろう!と、気合いが入る。
着いて早々、南富良野町に行く用事があり、40分ぐらい車を飛ばした。
その帰りに、「かなやま湖」沿いに走っている道を通った。今時期、野生のシカが沢山見られるので、クネクネして、運転しづらいのだが、この道を選んだ。
写真は、今日撮影したものだ。シカはいつ見てもカワイイのだ。
下記は、昨年の五月に、北海道新聞の夕刊(北極星というコーナー)に掲載されたものです。

シカが見放題
 このところ、仕事の関係で、ちょくちょく南富良野に出かけている。いつも、かなやま湖を通って行くのだが、雪解けのころから通るたびにたくさんのエゾシカと出合った。
 この時期のかなやま湖はいつもこうなのか、それとも今年はシカの数が多いのか、私にはわからないが道路脇の林や傾斜地にシカ、シカ、シカ。以前、真冬にシカが群れをなして凍った湖を渡っているのを見たことはあるが、こんなにも間近で何頭も見るのは初めてだった。思わず「かなやま湖はシカが見放題!」というキャッチフレーズがひらめいた。
 私はカメラを取り出してシカの写真を撮りまくった。どのシカも愛くるしい表情で、とてもかわいい。南富良野はエゾシカ観光で売り出せばマチおこしに結びつくんじゃないかとも考えたが、一方で、最近は増え続けるシカによって農作物や森の木の被害が深刻だという話も思い出した。エサを探して危険な道路脇にまで出てくるシカは弱っているものや子供が多いという。見放題のシカは、手放しで喜べるような単純なものではない。
 かなやま湖にはキタキツネもたくさんいる。通りがかりの観光客などがキツネにエサを与えることの弊害もいろいろと出てきている。野生のシカやキツネをどうやって観光に結びつけ、彼らとどう共生していくのか。私には簡単に判断を下せることではない。ただ、身近に動物たちを見られる自然環境を大事にしていきたいとも思わずにはいられない。

 

■ 鳴雪の書の商品化 byオダジー 2007年03月27日(火)

  57,499 byte「鳴雪・書Tシャツ」の評判が良く、この冬にはオーストラリア人の方も何人か買ってくれた。実感として、鳴雪の書は外国人にウケルと思った。
それで、調子に乗るわけではないが、「書」の商品アイテムを増やすことにした。風呂敷、扇子などが頭に浮かんだ。風呂敷、扇子となれば、最近親しくさせていただいている四国團扇の尾崎社長に相談するのが一番いいに決まっている、と連絡した。
今日、その打ち合わせをした。色々な見本も見せてもらって、イメージが固まってきた。話しているうちに、だんだん盛り上がってきて、ランチョウマットやコースターも一緒に商品化することになった。
鳴雪の額に入った書と書Tシャツに加え、風呂敷、扇子、ランチョウマット、コースターが揃った店内を想像すると、うれしくなる。なるべく早く実現したいと思う。
写真は、尾崎社長と息子さん。帰り際、今度会社に入った息子ですと紹介された。私は思わず「私にも、双子の大学生の息子がいるので、今後ご指導お願いします」と言って、その後フッと「今年大学四年生になるの娘もいるのでよろしく」と続けた。その言い方が、娘をお嫁さんにして下さいとのイメージがあったのか、尾崎社長が「そんな、親が勝手に人身売買みたいなこと言っちゃ駄目だよ」とたしなめられた。
まぁ、お嫁さんの話は、オーバーだけれど、息子さんはさわやかで、好印象だったのは確かだった。息子さんがお父さんの仕事を手伝う姿は、やはり、なんとなくほのぼのとして、ほほえましかった。
 

■ トミー・フラナガン「スーパー・セッション」 byオダジー 2007年03月26日(月)

  112,346 byte今日は、私が新宿の「三愛」に勤めていたときに、毎日のように通った「disk union」に行った。あの当時は、一店舗しかなかったと思うが、今は、「新宿中古センター」「新宿本店」「新宿ジャズ館」など七店舗ある。七店舗とも新宿駅東口の周辺にあるので、disk unionの看板がやたら目に付く(興味のない人には、まったく目に入らないと思うけど)。
思ったより、ジャズの中古LPレコードはなかったけれど、ピアノのトミー・フラナガンの「スーパー・セッション」を買った。昨日買った3枚と合わせて、4枚になったが、はや〜く聞きたい!
午後から、姉が関わっているフラワーショップの「PETER RABBIT FLOWERS」に、ホームページのプレゼンをするために、本社のある東大和(西武新宿線)を訪ねた。
幸い、社長が気に入ってくれて、進めることになった。富良野からでも、東京の仕事が出来るのが、インターネットの素晴らしいところだ。
札幌に住んでいるオフィスフラノのデザイナーの高橋さんとも、メールやMSNマネージャー(テレビ電話のようなもの)で毎日打ち合わせるが、実際に顔を会わせることはほとんど(まったく)ない。
他のフラワーショップのホームページとは一味違うオリジナリティのあるホームページを作ろうと、ちょっとりきんでしまった今日でした。
 

■ 下北沢 byオダジー 2007年03月25日(日)

  66,142 byte昨日、下北沢に行った。それは、下北沢に事務所がある人と打ち合わせをする予定だったからだ。待ち合わせる時間は夕方で、何時かは当日(昨日)電話で決めることになっていた。
午後四時頃から何回か電話したが、通じない。私の勘違いかもと心配になって、富良野に電話して、ホワイトボードのメモを見てもらった。24日夕方と書いてあると言う。
私は新宿のマンションにいたので、下北沢までは、30分もあれば行ける。色々考えて「見切り」で、下北沢に向かった。ちょっと遅く連絡がついても、すぐ会えるようにと。下北沢からも電話したが、つながらない。あぁ、まいった。
仕方がないので、下北沢のまちをぶらついてみた。大勢の若者にまぎれて、おじさんが歩くのも悪くないと思いながら、悦に入って歩いた。
歩いているうちに、「中古レコード」の看板が目に入った。時間はまだあるのでCDショップに入った。二階に上がると、けっこうの量のジャズレコードがあった。買うつもりで勢いよくレコードを見ていたのだが、いざ買うとなると、「中古レコードはキズがあるかもしれないし、どうせ買うならCDの方が良いかな」という考えが浮かんだ。これにはびっくりした。今回東京に来るついでに、レコードを買いたいと密かに思っていたからだ。
CDの方が良いかなと思ったのは、最近ジャズの名盤の廉価版が沢山出てきたからだ。なんと、1,000円で、長年欲しかったCDが発売されている。
結果的には、「ケリー・グレイト」「スウィンギング・ギター」「タル」の3枚を買った。
決め手になったのは、オール200円引きのセール中だったことと、フォーラムフラノにまたジャズレコードを木額に入れて飾りたいと思っているからだ。マンションに戻ってから、レコード盤をしげしげと見ると、とても綺麗だった。これならレコード針が飛ぶ心配もなさそうだ。一枚1,000円ぐらいで、手に入ったのに、なんであの時迷ったのか、今は不思議な感じがする。
実は、明日は中古レコードを取り扱っている新宿の店に行くつもりだ。また、何枚か買うつもりだ。
それにしても、何故、昨日電話が通じなかったのだろうか。明日確かめるが、単に約束を忘れただけだろうか。まぁ、人生には色々あるさ。
 

■ 新宿三丁目「かくれが」 byオダジー 2007年03月24日(土)

  63,381 byte2月3日に「フォーク対決」をした、放送作家の石井彰さんと新宿でお会いすることができた。フォーク対決に関しては、『北海道新聞・北極星「フォーク合戦」 byオダジー 2007年02月28日(水)』を見てください。
突然、電話しての再会である。石井さんの予定が、電話した昨日の夜だけが、奇跡的に空いていた。「タイミングが良かった」と石井さん。私も会えなくて、もともという気持ちで電話させていただいたのに、本当に、ラッキーだった。私のバイオリズムが良い方向にきているのだと思う(最近は、何でも自分に都合の良いように考えることにしている)。
美味しい大分(おおいた)料理のお店で食事をした後に、「小田島さんのブログのネタになる店に連れて行くからね」と言われた。写真は、店内を撮らせてもらったものだ。雰囲気が出ているでしょう。この店の名前は「かくれが」、新宿三丁目にある。
写真の右下の「傘」は、トイレの水を流すときに、これを引っ張ります。店内の壁には、ピカソのゲルニカが貼ってあるかと思うと、ジョン・レノンのポスターや長島茂雄がフルスイングで三振している写真があり、さらに石井さんの知り合いである小室等さんとピーコさんのポスターもあった。
久し振りに、東京の「文化」を肌で感じた。最近は、東京に来ても、表面だけをサアッーとなぞるだけだったから、ちょっとしたカルチャーショックだった。
帰りぎわに、「今度、息子たちを連れてきます」と私は言った。おそらく、子供たちに、東京の奥の深さ、かつて私が抱いていた東京のイメージを教えたかったのだと思う。
「かくけが」には、強烈な東京の匂いがした。
 


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