■ うれしいメール byオダジー 2007年01月26日(金)

  49,323 byte今日、うれしいメールが届いた。
「毎日愉しくブログを拝見しています。この度は弊社の本をご購読頂き有難うございました。那須野さんの湖水地方の写真、懐かしいですね。それにしても、小田島さんがジャズにお詳しいとは初めて知りました。カラオケではお歌いにならないので・・・。さくらんぼ計画も着々ですね。小田島さんの周辺の生き生きしている空気がブログから伝わってきます。私の勝手な推測ですが、オダジーになってますます素敵になられたような。」
と、書いていただき、「今後も富良野、北海道のオダジーワールドを注目させて頂きます。」で、締めくくられていた。
この素晴らしいメールを送ってくれた人は、女性です(特に、うれしい ! )。知り合ってから、二十年以上経っているかもしれない。JTBで出版している「るるぶ」誌で、色々お世話になった人だ。現在は、JTBパブリッシングの“エライ”人になっている。
メールの最初の「弊社の本をご購読・・・」は、私が昨日、ワイワイ日記で紹介した、「ピーターラビットと歩く イギリス湖水地方 ワーズワース&ラスキンを訪ねて」がJTBパブリッシングの出版だったのだ。
るるぶ誌には、思い出がいっぱいあります。その中で一番大きな「思い出」は、一緒に仕事をしている那須野ゆたかさんが、写真と文章で連載した「刻(とき)を探しに」だ。これは、1991年の1月号から12月号まで、毎月見開き二ページにわたって掲載された(写真参照)。
パリ、ブルージュ、ローテンブルグ、バース、エジンバラ、シンガポール、タヒチ、ミコノス・サントリーニ、上海、ニューヨーク、ストックホルム、そしてイギリス湖水地方のそれぞれの場所で、写真家・那須野ゆたかの心象を綴ったものだ。
ずるい事に、私は那須野さんの海外での撮影には、「助手」として、ほとんど同行している。那須野さんと一緒に、夢のような風景を何度も目の当たりにしている。ちゃっかり、那須野さんの横で、シャッターも切ったりした。
こう書いていくと、すべてが過ぎ去った後のような感じだけれど、私は諦めてはいない。何年か後になるかもしれないが、「オダジーのワイワイ撮影旅行」を敢行しようと思っている。オダジーは、まだまだ頑張りますので、また、メール下さい。
 

■ PETER RABBIT FLOWERS byオダジー 2007年01月25日(木)

  69,974 byte私の姉(守重美代子)は花束自動処理装置など、お花関係の会社「インパック」で、事業開発室・室長の立場にいる。現在の主な仕事は、新しいプロジェクト、フラワーショップ「PETER RABBIT FLOWERS」を今春オープンさせることだ。PETER RABBITは、絵本で有名な、あのピーターラビットです。正式に、契約して、使えるようになったそうです。
姉は、もともとフラワーアレンジメントの先生で、今までに多くの生徒さんがいます。今進めているPETER RABBIT FLOWERSも、お花屋さんプラスアレンジメント教室になると思う。
ピーターラビットについては、偶然ですが、私もゆかりが深い。と言うのは、写真家の那須野ゆたかさんと一緒に、ピーターラビットの故郷である、イギリスの湖水地方に、三回も撮影に行ったことがあるのだ。もちろん、ピーターラビットの作者、ベアトリクス・ポターが住んでいたヒルトップも訪ねた。私も、大のお気に入りの場所だ。
湖水地方は、それは、それは美しいところで、那須野さんも素晴らしい作品を沢山撮りました。その作品は写真集「夢のとき」にも掲載したし、カレンダーにも使われました。
私は、姉のプロジェクトに、何かお手伝いできないかと、勝ってに思っている。そこで、まず、ピーターラビットに関して、私なりに「勉強」しようと思い、「ピーターラビットと歩く イギリス湖水地方 ワーズワース&ラスキンを訪ねて」を取り寄せました。
湖水地方を懐かしみながら、しっかり、勉強したいと思います。
 

■ 今日の天気とジョン・コルトレーン byオダジー 2007年01月24日(水)

  26,871 byte上の写真は、今朝の9時前の写真で、下の写真が9時半頃の写真です。
今日の富良野は荒れています、でワイワイ日記を書き出そうと、車の中からフォーラムフラノに来る途中撮ったのですが、雪かきをしているときに晴れ出し、ちょっとの間で下の写真のような天気になった。
現在は11時前です。全体的には曇りですが、青空も見えます。スキー場の方は、晴れていそうなので、スキーヤーやスノーボーダーにとっては、フワフワした軽い新雪の上を気持ちよく滑れると思います。私も、とにかく一度滑らないと・・・。
今、「PLAYBOY」誌が届いた。昨年の3月に出たものを集英社のバックナンバー係」から送ってもらったのだ。
ジョン・コルトレーンの特集をやっている。表紙まで、ブルーノートのCD「ブルートレイン」のを使っている。
どんなことが書いてあるのかも興味があったが、ついつい買ってしまった大きな理由に「小川隆夫のJAZZで歩くニューヨーク完全ガイド」というオマケもついていたからだ。
ニューヨークには、私の友人のTOMOさんが住んでいることもあって、何回か行っている。有名なジャズクラブでもライブを聞いたことがある。
今は、ニューヨークに行くのは、無理だけれど、ちょっと落ち着いたら、是非行きたいと思っている。その時のことを思い浮かべて、「PLAYBOY」を読みながら、頭の中でニューヨークを歩いてみようと思う。
今日は、幸せな時間を過ごせそうです。
 

■ さくらんぼ byオダジー 2007年01月23日(火)

  40,338 byteオフィスフラノでは、スタッフを募集しています。英語が話せて、フォーラムフラノ、麓郷の森、オフィスフラノに興味を持ってくれて、一緒に働いてもイイと思う人。私たちが日々なにをやっているかは、下記のホームページをご覧いただければ分かります。
「オフィスフラノ」ホームページ
「通販サイト イー・ショップふらの」ホームページ
英語を話せる人といっても、日常会話ができる程度でいいです。主にオーストラリア人(オージー)に対する接客に必要で、もし英語にそれほど自信がなくても、アメリカに長く住んでいた我がしんちゃんが教えられると思うので、語学のスキルアップにもなると思う。
今後、オージーがますます増えることが予想されるので、オフィスフラノのサービスもレストラン、ショップにとどまらず、外貨両替、国際電話カード、英語でのインフォメーションなどを進めたいと思っています。
オフィスフラノが進めたい仕事は、まだまだあって、印刷物やホームページの製作もしたいと思っている。そのひとつが、廉価な英語版のパンフレットをまわりの宿泊施設やレストランにプレゼンすることだ。「フォーラムフラノの英語版」が参考になるはずだ。英語版のホームページもそれに合わせてプレゼンしたい。
それと、ちょっと唐突に思われるかもしれませんが、今年の4月か5月に、麓郷の広大な畑に、なんと! 「さくらんぼ」の苗などを植える、果樹園プロジェクトに、オフィスフラノは参加します。
写真がその畑だ。どうです、この圧倒的なロケーション。丘陵が美しい麓郷地区でも、これほど美しい眺めの畑はあまりないと思う。目の前は、「前富良野岳」が聳え立ち、西の方には、「芦別岳」が見えます。
私がこのプロジェクトに参加することになった、そもそものキッカケは、山形の東根町にある「天香園」の岡田専務と出会ったからです。天香園は、主にさくらんぼや桃、りんご、ブルーベリーなどの果樹の苗木を販売する会社ですが、なんと! さくらんぼの有名品種である「佐藤錦」の育ての親が天香園の初代の創業者なのだ。岡田専務は、四代目である。
岡田専務は、「北の国から」の大ファンで、何度が富良野に来ていたのですが、「富良野にさくらんぼを植えたい! 」という気持ちが日に日に強まり、ついに畑を購入し、いよいよ雪融けにさくらんぼなどの苗木を植える運びになった。
私は富良野にこだわった仕事をこれからも長く続けたいと思っている。それには、主幹産業である「農業」に関わった仕事をしなければと考えていた。このプロジェクトの話が出たときに、是非とも参加させてほしかった。今も、レストランの食材やプリン、ゼリーなどの加工品、そしてメロンなども扱っているが、仕事としても面白いし、可能性がものすごくあると思っている。
私は、農園一年生として、まず、色々なお手伝いをさせていただき、岡田専務と一緒に、このプロジェクトを是非とも成功させたいと思っています。
このプロジェクトの進捗状況については、このワイワイ日記でも、リアルタイムでお知らせしようと思っていますので、よろしくお願いします。
 

■ 北海道新聞「北極星」 byオダジー 2007年01月22日(月)

  82,273 byte今月の11日に、北海道新聞の「北極星」のコーナーに私のエッセイが載った。2ヶ月に一回のペースで書いているのだが、もう28回目になる。今回は、このワイワイ日記のことを書いたので、下記に転載します。

 昨年の十一月から、インターネット上で「オダジーのワイワイ日記」を始めた。最近、流行(はや)りの「ブログ」のようなものだ。ブログというのは、個人や数人のグループで運営され、日々更新される日記的なウェブサイトの総称。私のやっている「ワイワイ日記」は、基本的には一日に写真が一枚で、その写真に合わせて文章を書いて公開している。
 最初は、毎日書く話題なんてないし、書く時間だてないのにと心配していたが、やってみたら結構ハマってしまった。約二カ月の間に五十回近く書いたから、ほぼ毎日書いていることになる。内容は、「今日、富良野に初雪が降りました」とか「今日の十勝岳連峰はきれいです」といった身近な富良野の情報から、好きなジャズの話、私のショップの紹介などさまざま。気の向くまま、軽いノリでつづっている。
 私が「ワイワイ日記」を始めた理由は、富良野と富良野のファンをつなぐ何かのパイプ役になりたいと勝手に思ったからだ。この日記を見たことが富良野に来るきっかけになったり、見た人が富良野に親しみを持ってくれたらいいなあと、ひそかに期待している。
 残念ながら、まだ広くは知られていないし、確実に毎日チェックしてくれる人は身内や知人ぐらいだが、それでも見てくれる人がいることはうれしい。さらに言えば、たとえ誰も見てくれなかったとしても、自分にとっては決してマイナスではないと思う。毎日、書くための「ネタ」を探すことで、あらゆる分野の話題に自分のアンテナが向くようになったからだ。そういう意味では、日記の一番の読者は自分自身なのかもしれない。
 さて、明日は日記に何を書こうかな。
 

■ 岡林信康 byオダジー 2007年01月21日(日)

  58,820 byte昨日から、岡林信康を聞いている。岡林といえば、私の場合「手紙」「チューリップのアップリケ」、そして「カム・トゥ・マイ・ベッド・サイド」が浮かんでくる。この三曲は、ギターを弾き始めた頃練習した曲だからだ。高校生の時だ。友人にギターのうまいのがいて、そいつに習った。「手紙」で初めてアルペジオを憶え、「カム・トゥ・マイ・ベッド・サイド」でスリー・フィンガーを憶えた。
私の音楽人生は、歌謡曲→加山雄三→グループサウンズ→岡林信康→吉田拓郎・井上陽水→ジャズ→なんでも、という感じになる。その中で、やはり岡林信康は特別な意味を持っている。岡林信康というより、“岡林信康と時代の空気”だったのかもしれない。岡林信康を通じて、初めて「思想」とか「哲学」のようなものを実感したのだ。
「人間は如何に生きるべきか」の問いかけを、“生(なま)”の形で問いかけられたと思う。つまり、ある意味、岡林信康によって、人生の第一歩を踏み出したということかもしれない。それは、私だけではなく、かなり高い確率で私の世代の人について言えると思う。
さて、本当に久しぶりに岡林信康を聞いた。まず最初に感じたことは、「あっ、岡林ってブルースじゃん」だった。それは、高田渡を聞いたときも感じたことだ。
フォークソングと聞くと、「昔、聞いていたなぁ」程度の感慨しかなく、“過去”の音楽になっていたのだが、高田渡、五つの赤い風船、岡林信康と聞き続けてみて、逆にすごく新鮮だった。もし、フォークに対して先入観なしに、また、もし英語の歌詞だったら、まったく別の感覚で聞けるかもしれないと思った。
写真は、今朝の芦別岳。天気も良く、空気も透明感があり、いかにも「富良野の正しい朝」の感じだったので、少し遠回りして撮ってきた。
 

■ ニセコ・ヒラフ地区「ひらふ坂」 byオダジー 2007年01月20日(土)

  39,509 byte2007年01月17日(水)のワイワイ日記の続き。写真上はニセコ・ヒラフ地区の「ひらふ坂」。フォーラムフラノがある北の峰地区にも、同じような坂がある。北の峰ゴンドラに向かう坂(写真下)で、この信号を左に曲がるとすぐ角が富鮨さん、その隣がフォーラムフラノだ。このひらふ坂の写真は、朝撮ったので、あまり賑わいが伝わらないと思うが、夜になるとオージーで埋め尽くされるのだ。
ニセコに行ってみて、色々参考になったが、私が強く思ったのは、オージーが必要としている情報をいかに提供するか、ということだ。フォーラムフラノのことで言えば、英語版のメニューを作ったり、英語版パンフレットも作ったが、店内や商品のインフォメーションなどは、まだ十分ではない。今日から、オージー向けに英語のアンケートを書いてもらうことにした。料理のことから、富良野全般の印象など、A4サイズにびっしり質問が並んでいる。書くのは面倒だとは思うが、私の勘では、意外と書いてくれるのではと、思っている。
このアンケートも参考にしながら、フォーラムフラノ独自のガイドブックを作りたいと思っている。アイデアは、けっこう浮かんでいる。ただ、それをやる時間と気力があるか、それが問題だ。
下記は、今回製作したパンフレット(日本語版と英語版が裏表になっている)をPDFファイルにして、ホームページに載せました。
「フォーラムフラノパンフレット」
英語版「Brochure of Forum Furano」
 

■ 高田渡 byオダジー 2007年01月19日(金)

  50,575 byte1月14日のワイワイ日記に書いた「フォークソング対決」のために何枚かCDを買った。その一枚「高田渡・五つの赤い風船」を早速聞いてみた。高田渡は、「自衛隊に入ろう」しか記憶になかったのだが、聞き始めるとすべての曲が口ずさめた。「事だよ」「現代的だわね」「自衛隊に入ろう」「ブラブラ節」「しらみの旅」「あきらめ節」「冷やそうよ」、全7曲。
このURC(アングラレコードクラブ)レーベルのレコードを私は確かに持っていた。持っていた自信はあったけれど、改めて聞いてみて、確信した。だって、全曲歌えるのですよ。人間の記憶って、すごい! 特に、若い時に頭に入ったものは染み込んじゃっているのだ。若者よ! 今を大切に生きなさい! だって、今の私は昨日のことだって、もう記憶にないのだ。
このレコードの発売は1969年。私が16歳、高校1、2年生の頃だ。この時期は、岡林信康、このレコードにカップリングされている五つの赤い風船にシビレていた。
私たちの世代は、岡林信康から始まったと言っても過言ではない。もし、岡林信康から始まるフォークソングがなかったら、私たちの考え方、物の見方、世の中の対し方、もっと言えば生き方も違ったものになっていたと思う。この辺の話は、「フォークソング対決」でじっくり話したいと思います。
高田渡に、もどります。これがイイんです。ラジオふらのの仲間にも、高田渡ファンがいて、ちょこちょこラジオで話しているのは聞いていましたが、私の中では「ああ、昔聞いてたなぁ」ぐらいの感想しかなかった。
「フォークソング対決」のための選曲も、単純に、高田渡は「自衛隊に入ろう」で決まり、と思っていたが、いやー「ブラブラ節」もイイし、「しらみの旅」は“しらみ”の夫婦が目に浮かび一種物語を見るような感じで聞いてしまった。ああ、どうしよう、迷ってしまう。
 

■ 村田鳴雪書道展inフォーラムフラノ byオダジー 2007年01月18日(木)

  31,381 byte鳴雪「書Tシャツ」、「富良野で山頭火」の書の作者で、私の叔父である村田鳴雪の書道展を二月にフォーラムフラノで開催する予定だ。
先月の末、つまり年末の忙しい時に思い立ち、書道展のための作品を書いてほしいと、電話で頼んだ。おじちゃんに、頼むときはいつもこんな感じで、突然、頼む。年末も、おじちゃんの都合もおかまいなしだ。
おじちゃんは、気が向かないと書かないと、勝手に決めているので、私は頼みだけ簡単に言う。期限とか、作品数とか、詳しい内容とかは、すべておじちゃん任せだ。おじちゃんも、いつも、「分かった! 」とだけしか言わない。
今回も、Tシャツの文字のように、一文字の漢字を作品にしてほしいと言っただけだ。
後は、待つだけ。じっと、待つだけである。催促はしない。こちらは、勝手に「阿吽(あうん)の呼吸」のつもりで、失礼な要求をしているのだから、ゆめゆめ催促は出来ない。
でも、いつも、丁度良い頃合いに、「今日、富良野に送っといたよ」と電話がくる。
昨日のワイワイ日記に書きましたが、私はニセコ視察旅行に行った。その帰りに、札幌のおじちゃんの所に寄り、様子をうかがおうと思って、連絡したら、タイミングよく作品が出来上がったという。相変わらず、私は間(ま)がいいのだ(ちょっと自慢)。
作品は、もちろん素晴らしかった。おじちゃんは、年末年始、ずっと書いていたらしい。ものすごい量の“ボツ”の作品が積み上げてあった。
大きい作品(1000ミリX1200ミリ)も書いてくれたのだが、気に入った墨の濃さになかなかならなくて、何種類かの墨を混ぜて、やっと良い墨になったと言っていた。言われてみると、絶妙な墨の色が、私にも分かった。
この書道展、作品については、後日詳しくお知らせいたします。
写真は、おじちゃんの作品を「裏打ち」してもらうために、旭川の表具屋さんに行く途中に、撮ったもの。昨日の気温が暖かく、今朝少し冷えたので、視界全体が靄(もや)に覆われた感じになった。あまりにきれいなので、ちょっと横道に入って、シャッターを押した。
富良野は、何気ない日常に、「アート」が溢れている。寒かったり、辛かったり、情けなかったりするけれど、やっぱり、富良野はやめられないかも。
 

■ ニセコ「視察旅行」 byオダジー 2007年01月17日(水)

  25,198 byte今年の元旦から、毎日書いていたワイワイ日記を二日間休んでしまった。これは、書くことが無かったり、面倒くさいと怠けたわけではありません。
実は、一昨日と昨日の二日間、ニセコへ「視察旅行」に行っていたので、アップ出来なかったのです。旅行や出張のときは、いつも、何処へでも、パソコンを持っていくのだが、今回は頭を会社モードから、リラックスした旅行者モードで、ニセコを見たかったので、パソコンは置いていった(パソコンのメールは、携帯電話でチェック出来る)。
何を視察したかったかというと、ニセコに大勢来ていると言われているオージー(オダジーではなくオーストラリア人)の「実態」を調査するためだ(ちょっとオーバー)。
それは、フォーラムフラノにも多くのオージーが来てくれているので、「本場」のニセコを是非、この目で確かめたかったのだ。
いやぁー、おったまげた! 夜の八時に着いた、ヒラフ(比羅夫)地区、ここがニセコの中でもダントツにオージーで賑わっているところだが、完全に「外国」だった。
メインの通りは、オージーでごった返している感じで、初めての経験っていうか、まさかというか、これはもう、説明のしようがなくて、「百聞は一見に如かず」の諺(ことわざ)がついつい口をついてしまった。
とにかく、お腹がへったので、雰囲気が盛りあがっているレストラン、居酒屋さんに入ろうとしたが、どちらもオージーで満員。結局、メインの通りから少し離れた、純和風の定食屋さんで食事をしたのだが、そこも私たち以外は、オージーでいっぱいだった。
この店は、カツや天ぷら、のり巻き、寿司、豚丼など、日本人が好んで食べるものばかりなのに、オージーでいっぱい。
店員さんに聞いてみたら、八割以上がオージーで、オージーは長期滞在が普通なので、二度、三度と来店してくれるそうだ。
写真は、宿泊した「ニセコ東山プリンスホテル」から眺めた、朝の風景だ。ちょっと雪がちらつく曇りっぽい空模様だったが、羊蹄山の雄姿が眼前に広がりました。
ちなみに、ニセコ東山プリンスホテルにある、「ニセコ東山温泉」の露天風呂は最高でした。松に積もっている雪、目の前にちらつく雪、雪と温泉は、黄金の組み合わせですなぁ。
旅行モードの私は、すっかり、リラックスしてしまい、露天風呂には、夜と朝、二度入らせていただきました。
もちろん、ちゃんと「視察」もしましたよ。ニセコ視察については、また、明日詳しくご報告します。
 


- Web Diary UpVersion ver 1.30 -