■ 山下洋輔トリオ「モントルー・アフター・グロウ」 by富良野のオダジー 2010年12月27日(月)

  47,301 byte久し振りの青空。
スキー帰りの友人が、「今シーズン、初めての快晴だった」と、喜んでいた。
今日なら、十勝岳も、大雪山も、バッチリ、クッキリ見えただろう。
まあ、それにしても、スキー場の降雪が、年末年始に間に合って良かった。
今朝も、山下洋輔トリオを聞いた。「モントルー・アフター・グロウ」だ。
連日の、フリージャズは、滅多に無い。というか、初めてかも。(これは、オーバーかも)
レコードなので、A面とB面だが、それぞれ一曲だけの収録。
A面の曲「ゴースト」は、私の好きなアルバート・アイラー(サックス)の曲だ。
しかし、30年以上前に買ったとき、おそらく、一度か二度聞いただけだな。まったく、憶えていない。そのまま、我がコレクションとして、ずっと聞かれるのを待っていた訳だ。
待たせた甲斐はあったね。
B面は、山下洋輔作曲の「バンスリカーナ」。このテーマのメロディが素晴らしい!
この曲はなんとなく憶えているが、このレコードからなのか、他で聞いたのか。
いいメロディを聞くと、昔から知っていたような気がするから、そうなのかもしれない。
写真は、いつもの自宅の近くの空知川の堤防からのもの。(の、だらけだ。のって便利だね)
 

■ ちょっと曇っているが、スキー日和 by富良野のオダジー 2010年12月26日(日)

  44,966 byte昼には少し陽も出てきた。
雪も、風も、寒さもない、絶好のスキー日和になった。
フォーラムフラノにも、スキー客の方が来てくれる。今来店してくれた4人グループは、昨日の夕食にも来てくれた。
ありがたい!
富良野スキー場情報を見ると、全面オープンではないが、「北の峰ゾーン」も滑られるようだ。
フォーラムフラノとしては、「富良野ゾーン」と「北の峰ゾーン」の両方のゾーンがオープンしてくれた方が、やはり、賑わう。
年末年始、沢山のスキー客の方に来て欲しい。
雪かきは大変だったけれど、先日の大雪のお陰で、スキー場の状態はすごく良くなったみたいだ。
今朝も、ちょっと早めに出勤した。
ストーブに薪を入れて燃やし、コーヒーを飲みながら、ピアノの山下洋輔トリオの「キアズマ」を聞いた。
12月21日ワイワイ日記にも書いたが、このところ山下洋輔づいている。
うれしいことに、山下洋輔トリオの代表作である、このレコードを持っているのを忘れていた。
もう一枚あるレコードを探していたら、出てきた。
“新譜”のような気分で、聞いた。
これがイイ!
だから、レコード、CDは買い続けなくてはならない。いつ、その良さに出会うか分からないのだ。
買ったときは、録音が1975年とあるから、その辺りだと思う。大学を卒業して、2、3年の頃だ。
もう一枚も、同じ時期に買っている。どうして、あまり聞かないことを覚悟で、2枚も買ったかというと、理由は、はっきり分かっている。
それは、山下洋輔というより、アルト・サックスの坂田明だ。坂田明を聞きたかったのだ。
坂田明をナマで初めて聞いたのは、東京の西荻窪にあるライブハウス「アケタの店」だ。
いま考えると、どうして、アケタの店に行ったのか、分からない。私的には、“運命”としか思えない。導かれるように、店に入った。
それまでは、全然、フリージャズが理解できなかった。理論とか、頭の中では、多少理解していたのかもしれないが、それは音楽を楽しむというより、お勉強の範疇だった。
アケタの店へは、坂田明を狙って行ったのか、行ったら偶然坂田明だったかも憶えていない。
いや〜、驚いた。
坂田明の圧倒的な存在感。
私は初めて、ジャズの意味、音楽の意味が少し分かった。それは、ジャズでも、音楽でも、メロディでも、フレーズでも、なんでもない、人間・坂田明そのものが、ジャズであり、音楽だと、実感出来たからだ。
人間の持っているエネルギーの凄さに感動したのだ。たまたま、坂田明はアルト・サックスだっただけで、そんなことはどうでもよい。
私の同世代の隣のお客なんか、アイスコーヒーを飲んでいたストローで、坂田明と一緒に吹いていた。さすがに、私はそこまで“垢抜けて”いなかったが、聞いていたというより、全身に力を込めて、一緒に演奏していた気分になっていたのは間違いない。
この経験のお陰で、坂田明のお陰で、すべての音楽に「偏見」がなくなった。
この経験以降、ジャズ関して言えば、フリージャズも、当時流行りだしていた電子楽器を使ったフュージョン(当時は、クロスオーバーと呼んでいた)も、演歌も、歌謡曲も、矢沢永吉も、良いと思ったら、偏見なしに、素直に聞けるようになった。
続きは、明日!
 

■ 生まれて、初めて by富良野のオダジー 2010年12月25日(土)

  51,089 byte夕方前、会社の用事を足しに、妻と一緒に出かけた。
用事が終わって戻ろうとした時、私の頭に「そうだ、タコちゃんの店に年末のご挨拶に寄っていこう」と、浮かんだ。
店の近くだったこともあるが、浮かんだことはなるべく実行するようにしているので、店に向かった。
こういう時は、特に安全運転を心がける。
と、いうのは、意識しないで浮かんだことは、もしかして、何か“善”のシグナル(虫の知らせ?)かもしれないと思うからだ。
特別良い事が起こらなくても、そのまま、戻っていたら、事故に遭っていたとか・・・。
浮かんだことで、逆に事故にでもなったら、そう思ったことは無いが、“悪”のシグナルになってしまうので、超安全運転をするのだ。
事故も無く、無事にタコちゃんの店、おでんCafe「ひるの月(つき)」に着いた。
相変わらず、タコちゃんは、元気いっぱいだ。元気な人を見るのは、ホントに気持ちがいい。うれしくなる。
写真は店にあった「金のなる木」。
なんと!5円玉が、何個も葉の中にある。
金のなる木は、今までも見たことがあるが、こんなに大きい、しかも5円玉をいっぱいはめ込んだのを見るのは、生まれて初めてだ。
それを言うと、タコちゃんも、妻も「オーバーなっ!」と、笑っていた。
調べてみると、『カゲツ(花月)、科名:ベンケイソウ科。原産地は南アフリカの多肉植物。茎に5円玉をはめて、「金のなる木」のニックネームで市販されることもあります。』と出ていた。
う〜ん、5円玉は割りと一般的なことなのか。
でも、私は、生まれて初めて見たのだ。
ついでに、「生まれて初めて」つながりの話。
実は、私は漬物の「ニシン漬け」が大好きで、生まれてこのかた、ずっと食べてきた。キャベツも好きだが、それ以上にダイコンが好きだ。結果的に、先にダイコンが全部無くなり、残ったキャベツを後から食べることになる。
でも、ニシン漬けの味付けの主役である、ニシンを干して作った、身欠き(みがき)ニシンは、今まで食べたことがなかった。
2、3日前、なんか気が向いて、生まれて初めて、その身欠きニシンを食べた。
生まれて初めてのことって、けっこう、あるよね。ねっ。
仕事の途中ということもあって、おでん&ビールは我慢して、コーヒーと、南富良野のパン屋さん「Fortune Bagels」のベーグルを頂いた。
あ〜、美味しかった。
 

■ クリスマス by富良野のオダジー 2010年12月25日(土)

  28,730 byteクリスマスである。
富良野は雪がちらつく、ホワイトクリスマス。
昼過ぎに、友人宅に用事があって寄ったら、ケーキが出てきた。
「昨日のクリスマスケーキの余りで、申し訳ないけど・・・」と、奥さん。
「いや〜、昨日クリスマスケーキを食べてないので、うれしいです」と、私。
すると友人が、昨夜、クリスマスケーキが4つも集まって、人にあげたそうで、「お前にあげれば良かった」と、のたまう。(来年は、電話してね)
写真は今朝の出勤途中のもの。
もう雪が積もっているのに、何のためのハウスだろうと思って、撮影した。
近々、誰かに聞いてみようと思う。(知らないことが多いねぇ)
「バチの思想」のメモの続き。
●勝ち抜くための「教訓、知恵、思想」ではなく、負けても生きていける「教訓、知恵、思想」。
・長いものには、巻かれろ。
・とりあえず、金持ち、エライ人には頭をさげろ。
・負けるが勝ち。
・自分が誰かの役に立つポジション(居場所)を探せ。
・出る杭は打たれる。
・調子に乗るな(好事魔多し)。
・頭を下げるのは、タダ。
・すべてうまくいっている人を見たことがない。
子供の頃から、親に言われていたことを考えると、どうも勝ち抜くためのことではなく、負けることが前提のことが多いようだ。
これは、良かったと思っている。
だって、勝ち抜ける確率なんて、ホントに低いからだ。ほとんどの人間は、負けながら、生きていくことになる。
負けても生きていける、「教訓、知恵、思想」の方が必要なのだ。
逆に、それが徹底できると、勝ち抜けることも可能になるような気もする。そういう意味では、負けても、勝っても、どちらにも通用するものなのかもしれない。
 

■ ストーブ by富良野のオダジー 2010年12月23日(木)

  31,735 byteと、いうことで、ストーブに火をつけた。
まあ、炎は、見ていて飽きない。
見ているだけで、ゆったりした気分になれる。
「あっ、そうか!」
煙突掃除モードになったのは、この時間に浸りたかったからか。
そう言えば、ここ何年かは、この時期に、ストーブの炎を見ながら、コーヒーを飲みながら、ジャズを聞きながら、ボッーと外の雪景色を眺めていた。
色々ありながらも、開店前のほんの少しの間、至福の時間を過ごしていたのだ。
あ、良かった。
煙突掃除のお陰で、朝の楽しみが出来た。明日から、早起きをして、早めに、フォーラムフラノに来よう。
「バチの思想」の続きも少し。
バチの思想で言いたいことは、悪いことをしたからバチが当たるので、悪いことは止めましょう、という単純なことではない。
第一、何が悪いことかも分からないし、善悪の絶対的な基準がある訳でもない。いや、むしろ、見る側(立場)によって、善になったりも、悪になったりもする。
人のために良かれと思ってやったことが、結果として、悪くなるなんてことは、ザラにある。
ただ、個人的には、理屈や理論でもなく、他人にも言えないが、「それは、ダメでしょう」と思うことはある。
「それをやっちゃ、ダメでしょう」と。でも、そのことが世の中では、絶賛されることだってある。
繰り返しになるが、バチの思想は、とりあえず、個人的に考えることから始める。
他人がどう考えようが、世の中がどうであろうが、関係ない。
自分の相手は、あくまでも、「自分」であり、「お天道様」であり、「神様、仏様」なのだ。
まあ、少しずつ、少しずつ、進めましよう。
 

■ 煙突掃除 by富良野のオダジー 2010年12月23日(木)

  39,324 byte今朝も、そんなに激しくないが、雪が降っている。
ずっと気になっていた、フォーラムフラノのストーブ。何を気になっていたかというと、薪はけっこうあるし、寒い日もあったので、ストーブを燃やしたい。それには、煙突掃除をしなければならない。
煤(すす)が溜まっていることもあるが、夏に、煙突から鳥がおっこちてきて、ストーブの中でバタバタしていたことがあった。
もしかしたら、煙突の上のどこかで巣を作っているかもしれない。
ありがたいことに、今日の寝起きに、「煙突掃除をしょう!」という煙突掃除テンションが湧いてきた。(不思議だが、こういうことがたまにある。突然、テンションが上がるのだ)
早速、汚れても良い服に着替えて、煙突掃除の道具を持って、フォーラムフラノへ。
幸い、鳥の巣はなく、煤の量も少なかった。
 

■ 山下洋輔「ピアノ弾き即興人生」 by富良野のオダジー 2010年12月21日(火)

  43,666 byte今朝も少し雪が積もっていた。
たいしたことがないと、雪かきを始めたら、これがけっこう重い雪で、あ〜、疲れた。
自宅と工場のまわり、フォーラムフラノのテラス、除雪するところはふんだんにある。
もちろん、妻のほうが私より早く起きて、せっせと始めていた。
昨日の「他人は誤魔化せても、自分は誤魔化せない」のコメントである。
この言葉は単純に、他人は自分のすべてを見たり、知ったり出来ないが、自分は自分のことだから、自分のことはすべてお見通しだから、自分は誤魔化せない、という感じだと思う。
こんな当たり前のことと、「バチの思想」の接点はどこにあるのか。
次に続く言葉として、「お天道様が見ている」「神様、仏様が見ている」が出てくる。
つまり、仮に、自分を誤魔化したとしても、お天道様、神様、仏様は、誤魔化せない。つまり、他人も、自分も、誤魔化せても、悪いことをしたら、バチが当たってしまう。つまり(つまりが多い!)、悪いことや、間違ったことをしたら、素直に「ゴメンと、謝りましょう!」ということだ。
どんな言い訳をしても、自分は誤魔化せないし、誤魔化せたとしても、バチが当たる。
もう一歩進めると、実は、他人も誤魔化されたフリをしているだけかもしれないし、自分が自分を誤魔化していることに気付かないこともある。
それは、私も認める。
だから、バチが必要なのだ。
「あれっ、これって、バチが当たったのかもしれない。どのことだろう。あのことかなぁ、それとも、このことかなぁ・・・」が、大切なことなのだ。
いつも、バチのことを考えるのは、実は、自分のことを考えることなのだ。(今度は、なのだ、かっ)
つまり、バチの思想の根本は、あくまで個人的なことで、他人や世間の善悪基準やものの価値観ではなく、自分にとってバチが当たるか、どうか、なのだ。
今日は、ここまで!
山下洋輔著の「ピアノ弾き即興人生」を読んだ。
またしても、アマゾンにやられた。
アマゾンのおすすめのメールかなにかで、この本を紹介されたのだ。おそらく、アマゾンは私以外で一番私の嗜好性を知っている。
私がどんなことに興味があり、どんな性向があるか、すべて分かっている。その時々で私の興味は変わり、忘れてしまったことまで、アマゾンは忘れない。としたら、私以上に知っている可能性が高い。
今までも、かなりの確率で、アマゾンにやられている。
山下洋輔の本を読むのは、ホントに久し振りだった。
ちょっとネットを調べると、「ピアニストを笑え!」「ピアノ弾き翔んだ」「ピアノ弾きよじれ旅」「風雲ジャズ帖」などが読んだ気がする。1970年の終わりから1980年の初めに出版されたものだ。おそらく30年振りということになる。
あの頃を思い出すと、椎名誠、南伸坊、篠原勝之、伊丹十三、東海林さだおなどの名前が出てくる。「本の雑誌」「話の特集」だな、中心だったのは。
山下洋輔である。
なんか、やっぱり、うれしい。
昔から知っている、私より年上の方が、全然変わらず、むしろパワーアップして活躍しているのは、やっぱり、うれしいし、励みになる。
本を読みながら、聞きたくなったCDがいっぱいある。
何枚かは買ってみようと思う。
山下洋輔のアルバムはパッと思い出すだけだと、3枚しかもっていない。
ただ、「砂山」のB面の「うさぎのダンス」は大好きで、何年かに一度、定期的に聞きたくなる。
エネルギーの爆発とみなぎる緊張感。
聞き易いし、フリージャズの“意味”が、「なるほど!」と、理解できると思う。
 

■ バチの思想 by富良野のオダジー 2010年12月20日(月)

  17,661 byteちょっと雪が降ってきた。
フォーラムフラノの駐車場を照らすライト。
昨年もこんなような写真撮ったと思う。一年に一度は、撮りたくなるシチュエーションなのかもしれない。(何か撮らなくてはならないときの、苦し紛れ?)
「バチの思想」を書こうと思ってから、もう2、3年は経っているはずだ。
昨日の夜、フッと思い立った。
今までメモしてある言葉を紹介して、それにコメントをつけるワイワイ日記って、どうだろう、と。
書くことが無いとき(今日だが)、こういうときに、穴埋め的に書こう、と。
●今日の言葉
「他人は誤魔化せても、自分は誤魔化せない」
ああ、時間切れだ。
コメントは、明日以降に。
 

■ 麓郷の森 by富良野のオダジー 2010年12月19日(日)

  100,388 byte今朝の麓郷の森は、こんな感じだ。
やわらかい光が木々の間に射しこんでいた。
森の中は、雪一色になった。
 

■ 雪は一休みか by富良野のオダジー 2010年12月19日(日)

  33,548 byte今日は雪が降らなかった。
昨日の雪で、スキー場の状態はかなり良くなったと思う。スキー帰りにフォーラムフラノに寄ってくれたお客さんが、「新雪が最高だった」と言っていたそうだ。(妻情報)
スキー場のためには、雪は降って欲しいが、除雪は大変。毎年、今時期、板挟み?状態になっている。
写真は、麓郷市街の入り口。
今までも何回も撮っているが、今朝通りがかったら、林の間から太陽がのぞいていた。
写真は林と太陽のアングルを通り過ぎてからのもの。左側が真っ白になっているところが、太陽の光。
なんかいい感じだったので、戻らず、そのまま撮った。
この構図は、実は、30年ぐらい前に初めて撮った。昭和58年か、59年。
オフィスフラノを昭和58年に設立し、麓郷の森を昭和59年から始めている。その時期だったのは、間違いない。
なんで、言い切れるかというと、当時、北海タイムスの富良野支局長だった田中さんに、「風景写真は、こういうところを、こういう風に撮るといいよ」と、実際にこの場所で教えてもらったのを、ずっと憶えているからだ。
私は、曲がりなりにも、風景写真をそれなりに撮っているが、意識して風景写真を撮った最初の場所がここなのだ。
ここを通るたびに、思い出していたが、文章にするのは初めてだ。
今朝の太陽の神々(こうごう)しさが、そうさせたのかもしれない。
私は、色々な人に、色々なことを教えられて、今まで生きてこれたのだ。感謝、感謝です。
 


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