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先日のワイワイ日記にも書いていたように、今まで物置に使っていた古い家を解体することになり、荷物を運び出したり、整理をしたりしていた。 私の会社や家族のものだけではなく、私の姉、妹のものもあった。それぞれ、自分のものは自分で持ち帰った。 今日、妹が事務所に来て、その中から、すごいものを見つけたと、持ってきた。 それは、妹夫婦が富良野でやっていた喫茶店「LUG(ラグ)」で発行したミニコミ誌。 妹の旦那(残念ながら、昨年亡くなった秀男ちゃん)の手作りで、私はまったく覚えていなかったが、私も記事を書いていた。記事の内容は今も覚えている。その後、私が編集長をつとめたミニコミ誌「フロム・ノースランド・ウィズ・ラブ」にも転載したものだ。 人生で、初めて、人前に公表した文章だったので、特に印象が強いのだと思う。私の年齢は25歳だったらしい(妹の話では発行したのは昭和53年らしい)。 このミニコミ誌「Nyar(にゃ〜!)1.」こそ、私の今の活動の“原点”かもしれない。 下記に、文章を転載します。
あの時・この時・そんな時 “グット”くるレコードはこれだ!! 今回は「ふられた時」の為のレコードを2枚。ふられたイジイジを、もっとイジイジさせ、人生の悲しみと男の哀愁をじっくりかみしめたい人へは、マル・ウォルドロンの「レフト・アローン」。ジャズとしては、とても有名なもので、とくに日本人の感性にピッタリ合う音です。暗くした部屋にほのかに揺らぐローソクの炎、浮かんでくるのは、あの人との楽しい思い出。そこで流れるマルのピアノ。そして、それに続くジャッキー・マクリーンの憂いのこもった、すすり泣くようなアルト、もう、一緒にに泣いてください。「私を一人ぼっちにしたあなたって、キライ」、レフト・アローン。 もう一枚は、ジョン・コルトレーンの「至上の愛」。ふられたのを機会に、その苦しみを哲学的苦悩にまで高め、「なにさ、たかが女じゃないの、人間にはもっと、もっと、深く、厳粛な愛があるよ」とオカマっぽく意気がる人向き。初めての人には、ちょっと難解というか、「なんだ、これ!」と言われそうだけど、気長に聞いてほしい。きっといつか、「あぁ!」の絶叫と共に、女と人生の解る時がくると思います。ジャズに関する限り《限らなくても》コルトレーンを抜きにすることは絶対出来ません。“ああ、聖者になりたい”。ふられたことからしか人生は始まらないと思うので、ふられてない人もがんばってふられ、この2枚のレコードを聞きましょう。 |
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