■ バチの思想 by富良野のオダジー 2010年12月20日(月)

  17,661 byteちょっと雪が降ってきた。
フォーラムフラノの駐車場を照らすライト。
昨年もこんなような写真撮ったと思う。一年に一度は、撮りたくなるシチュエーションなのかもしれない。(何か撮らなくてはならないときの、苦し紛れ?)
「バチの思想」を書こうと思ってから、もう2、3年は経っているはずだ。
昨日の夜、フッと思い立った。
今までメモしてある言葉を紹介して、それにコメントをつけるワイワイ日記って、どうだろう、と。
書くことが無いとき(今日だが)、こういうときに、穴埋め的に書こう、と。
●今日の言葉
「他人は誤魔化せても、自分は誤魔化せない」
ああ、時間切れだ。
コメントは、明日以降に。
 

■ 麓郷の森 by富良野のオダジー 2010年12月19日(日)

  100,388 byte今朝の麓郷の森は、こんな感じだ。
やわらかい光が木々の間に射しこんでいた。
森の中は、雪一色になった。
 

■ 雪は一休みか by富良野のオダジー 2010年12月19日(日)

  33,548 byte今日は雪が降らなかった。
昨日の雪で、スキー場の状態はかなり良くなったと思う。スキー帰りにフォーラムフラノに寄ってくれたお客さんが、「新雪が最高だった」と言っていたそうだ。(妻情報)
スキー場のためには、雪は降って欲しいが、除雪は大変。毎年、今時期、板挟み?状態になっている。
写真は、麓郷市街の入り口。
今までも何回も撮っているが、今朝通りがかったら、林の間から太陽がのぞいていた。
写真は林と太陽のアングルを通り過ぎてからのもの。左側が真っ白になっているところが、太陽の光。
なんかいい感じだったので、戻らず、そのまま撮った。
この構図は、実は、30年ぐらい前に初めて撮った。昭和58年か、59年。
オフィスフラノを昭和58年に設立し、麓郷の森を昭和59年から始めている。その時期だったのは、間違いない。
なんで、言い切れるかというと、当時、北海タイムスの富良野支局長だった田中さんに、「風景写真は、こういうところを、こういう風に撮るといいよ」と、実際にこの場所で教えてもらったのを、ずっと憶えているからだ。
私は、曲がりなりにも、風景写真をそれなりに撮っているが、意識して風景写真を撮った最初の場所がここなのだ。
ここを通るたびに、思い出していたが、文章にするのは初めてだ。
今朝の太陽の神々(こうごう)しさが、そうさせたのかもしれない。
私は、色々な人に、色々なことを教えられて、今まで生きてこれたのだ。感謝、感謝です。
 

■ 富良野は大雪 by富良野のオダジー 2010年12月18日(土)

  54,972 byte今日の富良野は大雪。
朝から、みんなで除雪だ。
フォーラムフラノには、除雪車が来た。シーズン契約で、ある程度雪が積もった日に、朝、出動してくれる。もちろん、フォーラムフラノだけではなく、隣のお寿司屋さん、向かいのコミュニティセンターなど、ぐるっとまわっている。
今日みたいな日は、そこかしこに、色々な会社の除雪車が走っている。
まあ、おそらく、午前中には、富良野じゅうのお店の駐車場はきれいになっていると思う。
凄いね、機械の力(ちから)って。
でも、最近、ちょっと気が付いたのだが、機械を使えば、短時間で、除雪も、農業も、土木工事も、なんでも出来てしまう。
機械が無い時代であれば、すごく時間がかかったり、時間をかけても出来ないことがあったと思う。だけども、なんとか工夫してやっていたはずだ。
機械で便利になった分、どんな分野でも、なにごとでも、スピードアップし、結果として私たち人間が機械に追われるようになった。
機械が私たちを重労働から解放してくれ、“のんびり”“楽(らく)”に生活できれば良いのだが、むしろ急がされている。と、思う。
何をいいたいかと言うと、パソコンや携帯電話もそうだけど、便利になることと、幸せを感じることとは、リンクしていないということだ。
便利になる→スピードアップする→いつも何かに追われる→ゆとりの無い生活になる
ん?
だから、どうなんだ!
まあ、来年一年かけて、ゆとりのある生活(追われない生活)を送るために、色々考え、やってみようということだ。
ねっ。
 

■ 富良野は雪景色に by富良野のオダジー 2010年12月17日(金)

  33,543 byteなんと!
10日振りのワイワイ日記だ。
東京の出張があったり、戻ってきてからも、お客さんが来ていたり、まぁ、バタバタしている。
写真は、麓郷の富良野農場のさくらんぼ畑。昨日、撮影したもの。現在、こんな感じになっている。
今年はあまり実が生らなかったが、「来年は期待できる」と、プロの複数発言があるので、大いに期待している。
もう12月の半ばを過ぎたので、来年の話にも鬼は笑わないだろう。
いや、むしろ、来年の飛躍を念頭にした、来年の話は、鬼だって喜ぶはずだ。
とにかく、世の中の閉塞感は、富良野だって例外ではない。
特に、今日のように寒くなると、ますます心が萎える。明るく、明るく、考えましょう。
富良野プリンスホテルのスキー情報によると、12月15日に一部オープンし、明日も更にオープンのコースが増えるようだ。
スキー客のみなさんも、明日から、そろそろ沢山来てくれそうだ。
明るく、明るく、ねっ。ん?
 

■ ちょっとした大雪 by富良野のオダジー 2010年12月07日(火)

  45,755 byte昨日の夜から雪が降っていた。
案の定、今朝は街中が真っ白になっていた。
仕事の打ち合わせで、10時までに南富良野に行かなくてはならず、9時に自宅を出た。
途中、麓郷に寄る用事もあり、麓郷まわりのルートになった。
写真は、麓郷から平沢(たいらざわ)に入る西瓜峠のもの。
こんな感じに雪が降っていた。
南富良野から戻って、午後からは、老節布(ろうせっぷ)に行くことになった。
老節布も、富良野から南富良野に向かって走ることになる。今日はそういう日になった。
南富良野までは約40キロ、老節布までは約25キロ。
老節布では、農家の方にインタビューをした。
どういうことかというと、私は、北海道大学・富良野サテライトで、「社会人マイスター試行開講」を受けている。その実習での私のテーマは、富良野農業の歴史を調べることなのだが、歴史の“生(なま)”の声として、直接農家の方にお話を伺っているのだ。

北海道大学・富良野サテライトについては下記を参照。
山部地区の産業研究センター内に設置されています。サテライトは、北海道大学のサステイナビリティ学教育センターと農学研究院の共同で設置され、富良野市の農業者、食品産業、観光業、農協、市役所等の関係者によって組織された富良野サテライト運営委員会によって運営されています。(ホームページより)

来年の2月には、レポートをまとめて提出するつもりなので、出来上がったら、ご紹介します。
 

■ 十勝岳がくっきり by富良野のオダジー 2010年12月02日(木)

  41,666 byte今朝も冷え込んでいて、道路は氷になっていた。
昼頃から少し気温が上がて、プラスになったようだ。
天気は快晴。
写真はワインハウスの駐車場から見た、十勝岳連峰。
日蓮宗・妙顕寺の斉藤貫首(かんじゅ)とワインハウスで、昼食をとりながらの打ち合わせ。
ホームページのことやら、色々いい話が出来た。
どうやら、当分は、お寺関係の仕事になりそうだ。
年末年始と、“御利益(ごりやく)”が、ど〜んときて欲しい。
 

■ 12月です。富良野は雪。 by富良野のオダジー 2010年12月01日(水)

  47,883 byteいよいよ、12月。
今日も、富良野は雪が降っていた。
写真は、麓郷でのもの。
何の変哲もない、景色だけれど、ちょっと惹かれた。
写真にしてみると、たいしたことはなかったが、ファインダーを覗いたときは、けっこういい感じだった。
こうこう、なにげない風景に目が向くのは良いことだ。
ということで、今日は、おしまい。
 

■ 寒くて、雪 by富良野のオダジー 2010年11月29日(月)

  33,420 byte今日は一日中、マイナスのようだ。
富良野は、本格的な冬の状態になった。
今朝の道路は、氷の上に雪が積もった感じなので、車の運転は特に要注意。
毎年、この時期に同じようなことを書いているが、今時期、雪の降り始めが一番危険なのだ。
雪道の感覚がまだ、身体(からだ)にインプットされていなく、注意はしているけれど、それは意識だけで、身体全体の神経にまで行き渡っていない状態。
まあ、とは言うものの、どんなに注意していても、何かのハズミで、車が滑ることがあるので、後は、自分の“運”に頼るしかない。
 

■ 佐野の妙顕寺、続き。 by富良野のオダジー 2010年11月28日(日)

  60,927 byte今朝起きたら、一面が雪で真っ白になっていた。
寝ているときに、「ちょっと、寒いなぁ」と感じていたが、やはり、雪だったのだ。
いよいよ、長〜い、冬の季節の到来だ。
それほどではないが、フォーラムフラノのベランダの「雪かき」もした。
昨日のワイワイ日記の続きである。
妙顕寺を色々調べていると、まず、歴史に驚く。
『1294年(永仁2年) - 中老僧天目が開創する。』とある。今から、700年以上も前だ。
この「中老僧天目(てんもく)」がすごい!
1245年(寛元3年)-1337年(建武4年/延元2年)。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての法華宗の僧侶。日盛・上法房とも称する。日蓮の門弟「九老僧」の一人。
妙顕寺には寺宝として、『日向上人作「祖師像」(日蓮聖人像)』、『傳教大師作「鬼子母神像」』、『宗祖(日蓮聖人)荼毘所灰および御砕骨』などもあり、興味は尽きないのだが、私がもっとも“反応”したのは、妙顕寺に墓のある「禹範善(ウ・ボムソン)」だった。
『禹範善(1858年-1903年)は乙未事変(1895年)で閔妃殺害に加わった朝鮮王朝末期の武官。日本に亡命中に、日本人の酒井ナカと結婚。1903年、他の事件で亡命していた高永根に暗殺された。』とある。
「?」、乙未事変、閔妃殺害。
恥ずかしながら、私はカケラも知らなかった。
ありがたいことに、調べると、角田房子著「閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母」が出版されていて、手にすることが出来た。
久し振りの文庫本。字は小さいし、ページも多い。ちょっと、ひるむ。
それでも読み出すと、面白くて、止まらない。
ただ、面白いは、語弊がある。
この辺りの歴史をちゃんと勉強すると、ある意味、今の日本の姿が見えてくるかもしれない、という新たな発見の喜び。(今頃かっ!と言われても、そうです)
続けて読んだのが、これも角田房子著の「わが祖国―禹博士の運命の種」
この禹博士とは、「韓国近代農業の父」と呼ばれる禹長春で、禹範善の長男なのだ。
写真は、妙顕寺に建つ禹範善の墓。隣は同じく朝鮮からの亡命者である黄鉄の墓。
何故、妙顕寺に禹範善の墓があるのか。
野国安蘇郡天明町(現栃木県佐野市)の豪農の子として生まれた、漢学者、実業家の須永元(すながはじめ)が、福沢諭吉や朝鮮人留学生との交遊により朝鮮問題に関心を深め、亡命者とその家族たちを支援した。その須永元と妙顕寺との深い関係があったからだ。
他に、朝鮮の政治家、李朝時代後期の開明派として知られる金玉均(キム・オッキュン)が揮毫した山号扁額「開本山」や閔妃事件当時に朝鮮公使だった三浦梧楼陸軍中将に書いてもらったといわれる御影石の水盤などもある。
詳しくは、また、ワイワイ日記で紹介する。
お楽しみに!
 


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