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今月の初め頃に3冊とも読み終えたのに、なんか忙しくて椎名誠「哀愁の町に霧が降るのだ」続きの続きを書けなかった。 今日もこれから、不動産売買の決済と契約があり、その後は美瑛町に行かなければならないので、文章は途中までになってしまうと思う(美瑛町から戻って、また書いている)。 3冊読むのに時間がかかったが、読んで良かった。 当時(50年前!)をリアルに思い出した。椎名誠は1944年生まれなので私より9歳年上ということになる。 この本は椎名誠が20歳ぐらいの頃の話がメインなので、時代は昭和40年前後だと思う。 昭和40年は私が中学1年なのでその頃の東京がどんな状況だったのかは知るよしもないが、昭和46年から大学生として東京に住み始めた頃を思うとかなり共感出来る。 6帖一間のアパート(克美荘)を友人3人と借りて共同生活するのだが、トイレは共同、備え付けの小さな流し台、当時の典型的なアパートが舞台だ。 私が東京で初めて借りたのは賄い付きの3帖の部屋だった。トイレも流し台も共同で、週に何回かは交代(5人いた)で大家さんの家風呂に入った。ひと月の家賃が朝食と夕食付きで1万3千円。その後、知り合いの家の2階の6帖に間借。やはり、トイレも流し台も部屋にはなかった。風呂は近所の銭湯に通った。 それで読みながら、「そうだ、そんな感じだった」「いたいた、そんな奴、オレのまわりにもいた」「オレもお金なかったなぁ」「アルバイトもしたした」などと、自分も一緒に克美荘に住んでいた気分になった。 そして、不思議な感じがした。いくら若かったとはいえ、あんな状況で毎日がそれなりに楽しく、今の自分(68歳!)の基盤となるものをすべて培ったことに。 何もなかったけれど、時間だけはあった。人生について、今後の生き方について、いつも考えていた。一人で、友達と一緒に。 読み終えて、まずはそんなことを思った。続きはまた書きます。 |
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