■ 十勝岳連峰 by富良野のオダジー 2007年11月13日(火)

  28,331 byte今日は晴天に恵まれ、比較的暖かかった。
いつ雪が降っても、おかしくない時期だが、降ってくれないことに、こしたことはない。
とは言うものの、スキー場には早くど〜んと雪が降って欲しい。
ど〜んと雪が降って、店にもど〜んとスキーのお客さんが来て欲しい。
まあ、「雪かき」の大変さより、もちろん、お客さん優先なのだ。
写真は、上富良野町から撮ったもの。
 

■ フィニアス・ニューボーン・Jr.「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」 by富良野のオダジー 2007年11月10日(土)

  46,040 byte今日も寒い。今朝、ストーブに表示してある室内温度が7度だった。ついに、一桁になってしまった。そろそろ帰るとき、タイマーにセットしないと、植物が死んでしまうかもしれない。
気分的に、ストーブに薪を入れて、火をつけた。
「寒いときは、火の近くにいるだけで、幸せな気分になる」というフレーズが浮かんだ。何年か経って、誰もいないテーブルで、火を見ながら、コーヒーを飲んでいる、今朝の状況を懐かしく思い浮かべることになるような気がした。
“思い出”のような、淡い情景。
思い出なんて、別に海外旅行をしたりして、作るだけではなく、日常のちょっとした瞬間でも、忘れなれない情景を心に刻むことが出来る、なんてことを考えてしまった。
寒くなって、長い冬に向かうと、富良野の人は、どうでもよいことをついつい考えてしまうのでしょうか。(オレだけかッ!)

フィニアス・ニューボーン・Jr. Phineas Newborn Jr.(1931-1989)
1931年12月14日アメリカ、テネシー州生まれ。音楽一家に育ち、州立テネシー大学で音楽を学び、40年代の後半メンフィスで色々なバンドと仕事を始め、1956年ニューヨークに入り、アトランティックに「ヒア・イズ・フィニアス」を吹き込む。
アート・テイタム以降に現れた最高のピアニストとまで言われながら、持病ともいえる精神疾患のせいで、何度か演奏活動を中断している。
1964年の「ザ・ニューボーン・タッチ」を発表した後、療養生活に入ったが、1969年の「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」でカムバックした。
このアルバムの録音は1969年2月12〜13日の2日間で行われ、全部で15曲吹き込まれた。そのうちの8曲が「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」に収められ、残りの7曲は「ハーレム・ブルース」に収められた。
「ハーレム・ブルース」は、レコードで持っていて、私の大好きなピアノトリオの一枚だが、「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」は持っていなかった。たまたま、この前、「ハーレム・ブルース」を聞いたら、やっぱり良く、同じ録音のもう一枚「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」も聞きたくなった。
ピアノトリオは、色々あるし、特に日本人はピアノトリオが好きだそうだが、このピアノトリオのアルバムは、最高だ。やっぱり、いいものはいい、ジャズピアノは、こうでなくては、と勝手に溜飲を下げた(聞きやすければ、すべてよし、というジャズピアノファンに対して・・・)。
他のメンバーだが、ベースはレイ・ブラウン、ドラムはエルビン・ジョーンズ。もちろん、フィニアスだけではなく、この二人も素晴らしい!
この後、また、療養生活に入り、1975年に「ソロピアノ」でカムバックし、亡くなるまでに何枚かアルバムを吹き込むが、私は、おそらく、この二枚がフィニアスのベストだと思っている。
 

■ 今日は、オダジーのワイワイ日記の誕生日でした。 by富良野のオダジー 2007年11月09日(金)

  14,067 byteもうそろそろだなぁと思っていて、調べてみたら、なんと!昨年の今日が、オダジーのワイワイ日記を始めた日だった。
早いものだ。もう一年が過ぎた。この一年も色々なことがあったが、今日は時間がないので、そのうち改めて、じっくり一年を振り返ってみたい。
なんてったって、このワイワイ日記をさかのぼれば、一年が振り返れるのだから、やっぱり、日記って大事だよね。書くのは、大変だけれど、それなりに、やった甲斐はある。
写真は、今朝の「麓郷の森」。シャメで送ってきた。
 

■ もうそろそろ里にも雪 by富良野のオダジー 2007年11月09日(金)

  30,401 byteこの季節、朝起きて、ちょっと寒いなぁ、と思ったら山は雪だ。
フォーラムフラノに行く途中の景色が、雪ともやで、幻想的だったので、車を停めて、シャッターを押した。
タイヤは、スタッドレスに替えて、準備OKだけれど、まだ里には雪が降りてこない。出来れば、雪には、もっとゆっくりきてほしい。
店の玄関を開けようとして、危なく転びそうになった。ベランダの床が凍っていて、滑ったのだ。雪は降っていなくても、湿ったところは凍る気温なのだ。
ああ、危なかった!
 

■ 今日の富良野はあったかい! by富良野のオダジー 2007年11月05日(月)

  47,064 byte今日の富良野は快晴で、あったかい。ゴルフだって、ぜんぜん出来る感じだ。
何年か前、もしかしたら10年以上前かもしれないが、11月の今頃、ゴルフをしたことがあった。
途中から、雪が降り出し、グリーンに乗ったら、雪をかいてから、パターをした。
懐かしい思い出というか、“時代”というか・・・。
今では信じられないが、当時のことを思い出すと、ゴルフの話はまだある。
富良野はまだ雪深い3月2日か3日に、雪の少ない(その年は特に少なかった)帯広まで、わざわざゴルフに行った。さすがに、雪はなくても、バンカーは凍っており、風も冷たくて強く、打った球が風で押し戻されたりした。ゴルフに対するあの“熱気”は、なんだったんだろう?
でも、まあ、私は、なんであれ、「やれる時は、やったほうがいい」というタチなので、あの当時はあの当時で良かった、とは思う。
 

■ 富良野、ついに雪! by富良野のオダジー 2007年11月02日(金)

  54,452 byte昨日の天気予報で、全国的に冷えそうだと言っていたが、富良野は、ついに雪が降りました。
写真は、富良野スキー場(北の峰ゾーン)。
一番下のゲレンデに、さぁーっと雪が積もっている。フォーラムフラノのベランダには、もう融けてしまったが、朝方降った雪の痕跡はあった。
何回もワイワイ日記でもお伝えしましたが、11月に入って、やはり雪。
「麓郷の森は、真っ白だ」と妻から電話。麓郷は、標高が富良野の市街より、高いので、積もったのだろう。
そうだ、車のタイヤをスタッドレスにまだ、替えてない。早く替えないと・・・。
 

■ さすがに、紅葉も終わりです。 by富良野のオダジー 2007年10月31日(水)

  41,323 byte麓郷街道を一週間ぶりに走ったら、すっかり紅葉が終わっていた。
ワイワイ日記でも紹介したように、赤や黄の紅葉が、それは、それは、美しかったのに。
聞くところによると、ここ2、3日でアッという間に、葉が落ちたそうだ。いよいよ、雪だ。
写真は、「麓郷の森」のすぐ近く。カラマツの黄色い紅葉が、逆光でキラキラして、とても綺麗だったので、横道に入ったら、この風景が見えた。
ちょうど、紅葉している林に陽が射して、“写真的”状況になっていた。
こういう瞬間に出会えた時は、うれしい。なにか“運”がきたみたいで・・・。
これから、きっと、イイことがあるような気がする。なんてねっ!
 

■ ザワークラウト by富良野のオダジー 2007年10月30日(火)

  53,517 byte今日、仕事の打ち合わせで、市役所に行ったら、“ラジオふらの”仲間に会った。役所の職員で、私よりずっと年下だが、番組でも活躍している。
「やぁ、久し振り」と私が言うと、「ブログ、読んでますよ」という返事。
なんとなく、東京というか、道外を意識して、季節のことなどを写真で紹介するのが多いワイワイ日記だが、富良野でも読んでくれる人(身内以外)がいるのは、うれしい。特に、若い人だと、なおうれしい。
そこで、今日はバタバタして、あまり書く気はなかったのだが、気力を振り絞って書くことにした(いつもながら、オーバー)。
写真は、ザワークラウトの試作品。
たまたま先日、東京に行った時に、食べたザワークラウトが美味しくて、是非、フォーラムフラノで作りたいと思った。その時は、ザワークラウトという名前は知らなかったが、ソーセージの付け合せに出てくる、酢漬けのキャベツとして、知っていた。
調べてみると、ドイツやフランスのアルザス地域を中心に食用されているキャベツの漬物で、酢漬けではなく、酸っぱいのは「乳酸発酵」によるもの。
つまり、日本でも漬物を放っておくと、酸っぱくなる(北海道では、スッカクなる)のと同じだと思う。
ただ、日本の漬物と違うのは、ベイリーフやキャラウェイシードなどを入れることだ。
とにかく、作ってみたのよ。食べたら、美味しいと言えば、美味しいのだが、私が東京で食べたイメージとは全然違う。
このままなら、醤油をかけたら、もっと美味しくなるような感じなのだ。ドイツやフランスの味がしないのだ。
くやし〜いっ!
なんか、漬かった後に、今度は白ワインで漬けると書てるのもあった。う〜ん、白ワインか。
誰か、正式なザワークラウトの作り方を教えて下さい!
 

■ 「キューン/ラファロ1960」 by富良野のオダジー 2007年10月28日(日)

  33,486 byteスコット・ラファロ Scott Lafaro (1936-1961)

1936年4月3日アメリカ、ニュージャージー州生まれ。テナーサックス、クラリネットを吹き、高校卒業後ベースに転向。
1959年秋に、ビル・エヴァンス(ピアノ)・トリオ(ドラムはポール・モチアン)に加わる。
このピアノトリオがニューヨークのジャズクラブ“ヴィレッジ・ヴァンガード”で演奏したライブ盤「Waltz for Debby」「Sunday At The Village Vanguard」は歴史的名盤と言われる。ほかに「Portrait in Jazz」「Explorations」などの名盤を残す。
ビル・エヴァンスはマイルス・デイビス(トランペット)らによって提唱されたモード・ジャズの手法で、それまでにはなかった斬新な演奏を行った(エヴァンスもマイルスのグループに参加していた)。 また、3者が対等の関係でインタープレイを行う演奏スタイルは、それ以降のピアノトリオに絶大な影響を与えた。
スコット・ラファロはヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴのわずか11日後の61年7月6日、25歳の若さで、悲運にも事故死する。

まあ、以上が天才ベーシスト、スコット・ラファロについての簡単な説明だが、私がいつも不思議に思うのは、今から46年前、しかもわずか25歳で演奏した曲が、今現在聞いても素晴らしいし、全然古くない。もっと言えば、スコット・ラファロは、いまだに誰にも抜かれていない。
どうして、こんなことが起きちゃったのだろう。
ジャズは、1950年代後半から1960年代の中頃に、ギュウっと詰まっていると私は思っている。どうして、その時期に、才能あるミュージシャンが大勢アメリカに、いたのだろう。
今から半世紀前に、すごい才能を持った人たちが、必死になって作り上げたジャズは、人類の財産だ。神様は、たまに、こういう計らいをする。お陰で、私たちは何十年、何百年に渡って、その恩恵をこうむる。

写真は、「キューン/ラファロ1960」である。若き日のスティーヴ・キューン(ピアノ)が1960年、スコット・ラファロ、ドラムのピート・ラロカと「デモ」用に録音したもので、2005年に初めてCDとして、陽の目を見たものだ。
スコット・ラファロを調べていて、ぶつかったCDだが、私としては、ちょっと冒険だった。デモ用とは言っても、スタジオで録音されたようだし、やはり、数少ないスコット・ラファロを聞いてみたくて注文してしまった。
正解だった。音もいいし、ピアノトリオとしても悪くない。もちろん、スコット・ラファロは、相変わらず、「すごい!」の一言に尽きる。
こういうCDに出会うと、また、他のCDも欲しくなる。「もしかしたら・・・」と、想像に胸を膨らませて、色々なCDに思いをはせている、今日この頃です。
 

■ 紅葉、薪、雪虫 by富良野のオダジー 2007年10月27日(土)

  91,965 byte毎朝見ている白樺の葉の黄色い色が、今日は少し茶色っぽく見えた。もうそろそろ紅葉も終わりそうだ。
2、3日前から“雪虫(ゆきむし)”も飛んでいる。子供の頃から、この雪虫を見ると、「ああ、もうすぐ雪だ」とつぶやいてしまう。子供の頃は、今のように、石油ストーブがまだなかったので、本当に寒かった。
雪虫というとロマンチックに思えるかもしれないが、当時はなんとなく、寒くなることへの、わびしさみたいなものも感じたものだ。
写真は、「麓郷の森」で倒れた樹を我が父がチェンソーで切ってくれたものだ。フォーラムフラノで使うのだが、毎日一抱えぐらい燃やしたとして、何日分あるのだろう。
木はすぐ燃えてしまうので、ちよっとずつ燃やしている。お客さんが喜んでくれるタイミングを狙って、燃やそうと思っている。後は、石油ストーブをつけている。
たまに、自分のために、朝早くから薪を燃やすことがある。炎をじっと見ながら、好きなジャズを聞き、コーヒーを飲む。まあ、こういうのを「至福の時」というのでしょうか。
もうすぐしたら、外は雪がしんしんと降っているというシチュエーションも待っている。
 


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